新紙幣発行と暗号資産に思う – 視点
約20年ぶりに新紙幣が発行される。定期的に改鋳や改刷が行われるのは偽造対策である。今回も最先端のホログラム技術により偽造が一層困難になる。
また近年、脚光を浴びているものの一つに仮想通貨(暗号資産)がある。これはデジタル通貨の一種であり、物質的実体がない。現状では決裁手段というよりも、むしろ新たな投機や投資対象として流行しているようだが、ブロックチェーンという仕組みによって、やはり不正コピーは極めて困難である。
そもそも通貨の本質は「交換の媒介」に帰着する。実物の紙幣であれ、インターネット上の数値データであれ、それが信用されて有形無形のものと交換できるという共通認識が人々の間になければ成立しない。偽札やコピーデータが横行すれば、通貨としての信用は失われてしまう。
ところで、言うまでもなく信用のある通貨(お金)は生活に不可欠だが、それによって、あらゆるものが手に入るわけではない。教祖は「身上がもとや。金銭は二の切りや」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』178「身上がもとや」)と仰せられる。何をおいても金銭以前に身上をご守護いただくことが第一であり、「おふでさき」に「ちかみちもよくもこふまんないよふに たゞ一すぢのほんみちにでよ」(五号30)とあるように、いたずらに利得を追い求めるのではなく、ひたすらに教えに沿った道を歩むことを促されていると思う。
また「おさしづ」に「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く」(明治25年1月13日)とあるように、見抜き見通しの親神様には、いかなる偽りも通用せず、心通りに与えがある。
さらには「さあ/\実があれば実があるで。実と言えば知ろまい。真実というは火、水、風」「さあ/\実を買うのやで。価を以て実を買うのやで」(明治20年1月13日)とも教えられるように、誠真実を尽くすことで親神様の真実のご守護を頂くことが、何よりも肝心なのである。
(三濱)