立教184年「全国社友大会」講演ダイジェスト – 妹尾和夫氏
天理での青春時代
芸能人生に活きる
既報の通り、道友社の立教184年「全国社友大会」では、『笑うて泣いて また笑て――妹尾和夫のしゃべくりエッセー』の出版記念として、著者の妹尾和夫氏が「わたしと天理――芸能人生を支えてくれたもの」と題して講演した。その内容をダイジェストで紹介する。
僕は昭和39年に天理中学校に入学し、45年に天理高校を卒業するまで丸6年間、天理で生活しました。それが、芸能界で仕事をする中での、すべての基本になっています。
いい大人との出会い
天理中学、天理高校で出会った先生方の影響もあり、教師になって天理高校へ戻るつもりでした。
ところが、僕の高校時代は学生運動が盛んな時代。生徒会長をやっていた僕は、勉強もせずに学生運動のまね事ばかりしていました。
そんなある日、当時の校長であった中山睦信先生から呼び出しを受けました。覚悟して校長室へ行くと、中山先生が「食べるか」とお菓子を勧めて、「君、元気ええらしいやんか。元気なのはいいことやから、ほどほどにな」と言われました。
多感な時期に正義感を振りかざして突っ走っていた僕を、温かく包んでくださったいい大人との出会いは生涯の財産となりました。
僕なりの“心定め”
先ごろ亡くなられた落語家の笑福亭仁鶴師匠との素敵な出会いがありました。
26年ほど前、僕が司会を務めていた番組のレギュラーコメンテーターとして、仁鶴師匠が出演されることになりました。
天理高校時代に北寮で深夜ラジオを聴いていた憧れの人と一緒に仕事ができる――。ここで、天理の教えが活きてくるんです。ゴマすりと思われてもいいから、ひのきしんの態度で喜んでもらおうと、僕なりの“心定め”をしました。
朝、仁鶴師匠がテレビ局に来られると、僕は局の喫茶室へ行ってアイスコーヒーを作ってもらい、楽屋へ持っていきました。仁鶴師匠は最初「なんで君が?」という顔をされましたが、続けるうちに「頼むわ」と言ってもらえるようになりました。
それから半年が経ったころ、ゴルフや食事に連れていってもらったり、ご自宅へお邪魔したりと、親しくお付き合いをさせていただきました。
仕事の現場では何か「させていただく」ことを心がけています。「メーン司会者は、そんなことしませんよ」と言われることもありますが、それはすべて天理で身につけたひのきしんの態度、お道の精神が元になっています。
70歳を前にした今も、天理中学、天理高校で培ったことを元に、芸能の仕事で忙しくさせてもらっています。体が動く限り頑張りたいと思います。
記念講演のダイジェスト映像をご覧いただけます。