人に寄り添って ヒューマンストーリー Special – 静岡の末吉喜恵さん
子育てに悩むお父さん・お母さんに気軽に立ち寄れる“心休まる場所”を
少子化傾向が深刻さを増す日本社会。その要因の一つに、育児の心理的・身体的負担感の増大が挙げられる。核家族化が定着し、地域のつながりが希薄になるなか、育児中の孤立や不安から“育児うつ”になり、児童虐待につながるケースも少なくない。こうしたなか、自らも5人の子供を育てる傍ら、地域の商業施設の一角に支援センターを立ち上げ、子育てに悩む人々に寄り添う一人の女性教友がいる。
「人の喜ぶ顔を見ることが、私の原動力なんです!」
はつらつとした表情でそう話すのは、子育て支援団体NPO法人「よしよし」の代表を務める末吉喜恵さん(49歳・此岡分教会教人・静岡市)。2004年に前身の子育てサークル「よしよし」を立ち上げて以来、5人の子供を育てながら地域の子育てに奮闘する人々の支援に取り組んでいる。
母親になることは奇跡
奈良県内の教会で生まれ育ち、「幼いころから、お道が大好きだった」。天理高校時代にはバトントワリング部に所属。卒業後は自教会で伏せ込みながら、少年会本部の鼓笛スタッフや、大教会女子青年の委員長などを務めた。
26歳のとき、結婚を機に静岡へ転居。パートやアルバイトをしながら家事をこなす生活が1年ほど続いたころ、妊娠の兆候があり、産婦人科を受診した。
このとき、第一子妊娠と同時に卵巣に腫瘍があることが判明。「悪性だった場合、子供の命は諦めなければならない」との医師の言葉に、「目の前が真っ暗になった」と振り返る。ご守護いただきたい一心で、親神様にお願いし、おさづけを取り次いでもらったものの、不安ばかりが募り、精神的に追い詰められていった。
安定期に入った5カ月目、医師と相談し、卵巣の一つを摘出することに。手術は無事成功し、腫瘍を検査したところ、良性と悪性の境目にある状態だったことが分かった。奇跡的なご守護を体験し、その後、無事に長女を出産することができた。
「身上を通じて、母親になることは奇跡であり、決して当たり前ではないと実感した」
長女の出産から3年後の2002年、30歳で双子を出産した。身上の影響もなく、子宝に恵まれたことに大きな喜びを感じる一方、「子育ては壮絶なものだった」。昼間は一人で3人の面倒を見て、夜も十分に眠れない日が続くなか、さらに追い打ちをかけたのが“孤独感”だった。
奈良から移り住んだ末吉さんには、家族や教会関係者以外に子育ての悩みを共有できる友人がいなかった。心身ともに追い詰められ、一時はふさぎ込む状態に陥ったという。
そんなある日、静岡市主催の子育てサークルに初めて参加した。同じ悩みを持つ友人ができたことで、徐々に楽しんで子育てができるようになっていった。
「助けて」と言えない親
サークルに参加するうちに、子育て中の人が集まれる場をつくりたいと自らも考えるようになった末吉さん。そこで、バトントワリング部時代の経験を生かし、音楽を通じて体を動かす「リトミック」を楽しむ場を設けようと、2004年、子育てサークル「よしよし」を立ち上げた。
月に一度、友人たちと活動を続ける中で、口コミで次第に評判が広まり、参加者が増えていった。3年後には、友人の協力を得て「ベビーマッサージ教室」を始めるなど、参加者の要望に応えて活動を広げていく。
「子育てに悩む多くの人々と関わる中で、本格的に子育て支援をしたいと思うようになった」
その後、産後の母親を対象にエクササイズをしたり、父親向けに絵本の読み聞かせ方を教えたりするなど、さまざまな支援活動を展開していった。
すると11年には、年間の参加者が3,000人を超えるように。活動に賛同してスタッフを務める仲間も増えてきたことから「安心して協力してもらえる環境をつくろう」と、12年にNPO法人を設立した。
活動が軌道に乗るなか、ある課題に直面する。それは、最も困難な状況にある人たちに、支援の手が行き届かないことだった。
「よしよし」の活動に自ら参加する人は、子育ての悩みの程度が比較的軽いケースが少なくない。一方、より深刻な問題を抱えながらも、社会から完全に孤立している人たちがいる。彼らを支援したくても、その手がかりがなかった。
「本当に困っている人がいるのに、その存在が“見えない”――」。もどかしさを感じた末吉さんは16年、自ら応募して静岡市の養育支援訪問員(コラム)になった。
初めて訪ねた家で出会ったのは、わが子と変わらないほどの年齢で母親になった少女。家の中はごみで溢れ返り、満足に育児ができる環境ではなかった。このほか、さまざまな問題を抱える5人の家庭へ定期的に赴き、家事を手伝い、育児支援を行いながら、それぞれの悩みに寄り添い、心の内に耳を傾けた。
「『よしよし』の活動では出会えなかった、深刻な状況にある親と関わる中で、自ら『助けて』と言えない人が大勢いる現状を知ることができた」
この経験から支援の幅をさらに広げたいと考えた末吉さんは、独学で保育士の資格を取得。その後、19年に市内の商業施設の一角に「子育て支援センターよしよし」を開所した。同センターには、買い物を終えた母親らが、コロナ前には月に2,000人訪れ、現在も人数制限をしながら各種支援事業を行っている。
「子育てに困っていても、行政の窓口などには“敷居の高さ”を感じて相談できず、途方に暮れてショッピングセンターを一人で彷徨っている親がたくさんいる。そんな人が気軽に立ち寄れるような、来てもらいやすい居場所をつくりたかった」
常に明るく“にをい”を
末吉さんは時折、市主催の子育て事業などの講師として呼ばれることがある。その際は、自身の身上や子育ての経験をもとに、お道の教えの一端を分かりやすく伝えている。
「日々の生活に喜びを感じられないお母さんたちが多い。何げない日常も、感謝の心を持つことで、喜びがたくさん見つかることを伝えている」
「よしよし」の活動の傍ら、市の子育て支援事業に携わるなど多忙な日々を送る末吉さんだが、教会日参と月次祭の参拝は欠かさない。
15年以上にわたって「よしよし」の活動に協力している小塚ひろみさん(41歳・同教会ようぼく)は、「常に明るく、何事にも前向きな人柄の末吉さんだからこそ、ここまで活動が広がってきたのだと思う」と話す。
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子育て支援を始めて17年。多くの事業を行っているが、まだまだ支援の受け皿は足りていない。今後、さらに支援センターを増やしたいと考えているという。
「子育てに悩む人たちにとって、支援センターが心休まる場所であるために、私自身が常に明るい表情で“良いにをい”を放つことを心がけている。これからも子育てをしている人に寄り添い、その人らしく子育てできるような活動を続けていきたい」
文=島村久生
コラム – 養育支援訪問事業
育児ストレス、産後うつ病、育児ノイローゼなどの問題により養育支援が必要な家庭を、保健師・保育士などの専門家や子育て経験者が訪問し、相談、指導、助言などの支援を行う事業。個々の家庭が抱える諸問題の解決、軽減を図ることを目的に、各市町村を中心に取り組まれている。