天理時報オンライン

人生の下り坂で想うこと – あなたへの架け橋


『台形』という詩

話し相手の言葉が聞き取りにくい、血圧が高め、正座から立ち上がるのに時間がかかる。数年前からこんな身体の異変が気になり始め、「そろそろ人生も下り坂か」などと思うようになりました。

今日までの道を思えば感謝することばかりなのに、どうも態度や言葉に現れてこない自分に少し苛立ちも感じていました。そんなときに出会ったのが『中島みゆき第二詩集 四十行のひとりごと』です。

中島みゆきさんといえば日本を代表するシンガーソングライター。名曲『時代』をはじめ、『わかれうた』『悪女』など、私も数多くの初期の作品に魅了されました。

詩集のなかに『台形』という詩があります。

〈赤ん坊は 日に日に育ってゆく/急な坂をぐんぐん登るように 日に日に育ってゆく〉

人生の道のりを台形に見立てたこの詩を読み進めていくと、どこからかやさしいメロディーが聞こえてくるようで、たちまち「みゆきワールド」に引き込まれてゆきます。

〈年寄れば 日に日に弱ってゆく/急な坂をころがり降りるように みるみる弱ってゆく/あちらもこちらも いっせいにガタが来て/昨日出来たことが 今日出来ないようになる〉

ここまで読んで、「そうか、みゆきさんも同じなんだ」と一瞬思いました。しかし一流のアーティストは、ここからが違います。

〈ここにはきっと何かある/この急な下り坂には 何か仕掛けがある〉

そう、前を向く気持ちを失っていないのです。詩は続きます。

〈泣いて降りても下り坂 笑って降りても下り坂〉

この一節は、うつむいて何事も諦めかけていた私に、大切なことを思い起こさせてくれました。

人生を振り返れば、たしかに登り坂がありました。音楽や勉強に夢中になった学生時代。仲間と共に教会を盛り上げようと頑張った青年時代。登り坂を引っ張ってくれていた父が急にいなくなるつらい時期もありましたが、教会の皆さんに支えられて、ようやく辿り着いた平坦な道。それが結婚だったように思います。

今まで一人だったのが、これからは二人で歩めるようになる。そこに子供たちの笑顔が次々と加わってくる。こんなに心強いことはありません。こうして教会生活でいくつかの登り降りがあって、いま、人生の下り坂に差しかかっているのです。

笑って降りる

イラストレーション:西村勝利

さて、この坂をどうすれば笑って降りられるのでしょう。詩集のページをめくりながら考えてみました。そうして気づいたのが、今の自分に至る「命のつながり」です。

私の先祖は400年前から東京、当時の江戸に住んでいたそうです。4代前の当主である高祖父は、のちの新選組組長・近藤勇と同じ道場で剣術を学んだとも聞きます。以後、はっきり分かっているのは、明治後期に運送業を営む曾祖父が、幼いわが子を次々と亡くした事実。もちろん医療体制が今日とは格段に違うため、さほど珍しくなかったともいえますが、いつの世も、わが子を失うのは悲しい出来事に違いありません。けれども曾祖父は歯を食いしばり、信仰の道へ転身して苦難を乗り越えました。その命が、私につながっているのです。

曾祖父を思えば今の私がどれほどありがたいか。子供たちは皆元気だし、還暦を迎えるのとほぼ同時に孫の顔を見ることもできた。父は孫どころか、自身の子供が成人する姿さえ見られなかったのです。そう思うと、ありがたくて胸がいっぱいになります。先祖のおかげで今日があり、両親のおかげでここに生きている。この事実を心に刻み込んで歩いていこうと決意しました。

人生にはなぜ下り坂があるのでしょうか。それは、〈やがていつか この坂を再び登る日のため〉と、みゆきさんは教えてくれています。身体にはガタが来ていますが、これからは心の焦点を「命のつながり」に合わせ、笑って下り坂を降りていきたいと思います。


安藤正二郎(天理教本則武分教会長)
1959年生まれ