紫陽花に心惹かれ 子供にも丁寧な言葉で – 逸話の季
6月になりました。すでに梅雨入りしていますが、昨年のように雨の日が続いている感覚はありません。家の近くには昨年と同じ花が咲きましたが、今年は咲いている場所が変わっています。目の前の梅雨空も、同じような曇り空でも昨年の空とは違います。繰り返す季節を楽しみながら、また新たな気持ちで今年の夏を迎えたいものです。
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明治16年6月、山田伊八郎と妻のこいそは、長女いくゑを連れて、誕生から満1年のお礼詣りにお屋敷へ帰ります。教祖は大層お喜びになり、「いとに着物をして上げておくれ」と仰せられ、赤衣を一着賜わりました。
この赤衣を仕立て直して、その着初めにお屋敷へお詣りすると、教祖は、いくゑを背負うて村田長平の豆腐屋の井戸を見に行かれます。このとき教祖は、とても丁寧な言葉をお使いになり、帰ってきてからは「お蔭で、見せてもろうて来ました」と仰せられました。
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一二一 いとに着物を」)
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わずか1歳の幼子にも、とても丁寧に接しておられる教祖。そのお姿が、とても印象的な逸話です。本文では「教祖は、大人だけでなく、いつ、どこの子供にでも、このように丁寧に仰せになったのである」と伝えられています。
かつて、ある人に、「教祖の『ひながた』は、まず自分にできることから実践する姿勢が大切だ」と諭されました。その際、あれこれ考えていたときに、この逸話が心に残りました。それからもう40年くらい、幼い子供や若者にも、なるべく丁寧な言葉で接するように心がけています。
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おそらく1歳の幼児は、丁寧な言葉とカジュアルな言葉の違い(もちろん、口調の違いは感じるでしょうが)を理解することはできません。しかし、相手に語りかける側の気持ちは、実際に使う言葉によってかなり変わってきます。このことは、20代のころから感じていました。さらに30代、40代、50代と年齢を重ねるにつれて、あらためて言葉づかいの大切さを実感しています。
やはり、まず実行できることから、「ひながた」を範として日々を暮らす意識が大切ですね。
文=岡田正彦