“たすけの現場”に手を差し伸べて60年 – 年輪重ねて――“生涯現役”のよろこび
2026・6/17号を見る
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災救隊兵庫教区隊最高齢の隊員
井上昭二さん
80歳・三海分教会ようぼく・兵庫県伊丹市
老いて、ますます盛んに――。
「人生100年時代」を迎えるなか、お道の信仰を胸に、教会や社会の中で生き生きと活躍し、身も心も輝かす高齢のようぼくは少なくない。
災害救援ひのきしん隊(=災救隊)兵庫教区隊の最高齢の隊員として、各地での救援活動や訓練に従事する井上昭二さん(80歳・三海分教会ようぼく・兵庫県伊丹市)も、その一人だ。
昭和40年から34年間、陸上自衛官として国の安全を守る職務に尽くした井上さんは、「阪神・淡路大震災」をはじめとする数々の被災地への災害派遣を経験。退官後は自衛隊時代の経験を生かし、災救隊の隊員として被災地での救援活動に携わるほか、教区隊の訓練にも毎年参加している。
また、教区・支部のにをいがけ活動や、ひのきしんにも積極実動。18年前に始めた『天理時報』の手配りひのきしんも毎週欠かさない。
「ただただ、人さまに喜んでいただきたい――」。60年以上にわたり、“たすけ”を必要とする現場へ赴き、率先して手を差し伸べてきた井上さん。年輪を重ねてなお、お道の教えと健康への感謝の思いを胸に、教祖の道具衆として“生涯現役”を貫く、その思いに迫った。
「ひのきしんに定年なし」
人さまに喜んでいただける道を
5月29日、兵庫県加東市の竹藪で、災救隊兵庫教区隊が訓練を実施。隊員たちは、竹の間引き作業に力を尽くす。
「その作業手伝うよ」「ここを切ればいいんやね」
ふた回り年が離れた若い隊員に交じり、手際よく作業を進めるのは、最高齢80歳の隊員・井上昭二さんだ。
訓練終了後、爽やかな表情で額の汗を拭う井上さんは、「『ひのきしんに定年なし』と聞くからね。ほんなら自分のできる限りのことを、精いっぱい続けていかんとな」と柔和な笑顔を見せる。
父親の姿が信仰の原点
信仰4代目。兵庫県内の熱心なようぼく家庭に生まれた。なかでも父親は、身上・事情を抱える人がいると聞けば、すぐに現地へ駆けつけた。井上さんは父親に連れられ、毎月の所属教会の月次祭に徒歩で山を越えて参拝。幼少から信仰を身に付けていった。
「父は『人さまに喜んでもらったらいい。たすけを必要としている人がいれば、自分から率先して声をかけなさい』が口癖だった。この言葉を繰り返し聞く中で、何かを頼まれたら率先して引き受けようと思うようになったんです」
学校卒業後、工業会社に就職。しばらくして、転職を考えるようになった際、自衛隊員募集の広告が目に留まった。当時、昭和39年の東京オリンピックで大会運営を支える自衛官の姿に憧れたこともあり、入隊を決意。翌年、二十歳で陸上自衛隊に入隊した。
入隊後は事前に取得していた大型自動車免許や溶接技術が評価され、自衛隊車両の整備士として勤務。平成11年に定年退官するまで34年間にわたり、自衛官の職務に努めた。
「“あの日”見た悲惨な光景は鮮明に覚えとるね」
いまも井上さんの脳裏に焼きついているのは、平成7年に発生した「阪神・淡路大震災」の光景だ。未曾有の被害をもたらした震災当時、自衛隊阪神病院で勤務していた井上さんは、医官や看護師を被災地へ輸送したほか、医療物資の搬送支援などに携わった。
「巨大災害の残酷さを思い知る一方で、全国から駆けつける自衛隊員の姿に深く感銘しました。いざというときは、人と人が助け合うことが何より大切やなと実感しました」
その後、水害や豪雪地帯など数々の被災地へ派遣された井上さんは「被災者が一日でも早く普段の生活に戻れるよう、復旧に向けて少しでも力になりたい――。その思いが被災地へ行くたびに強くなっていったね」と振り返る。
「自分にできるおたすけ」を
退官後、井上さんは銀行員として再就職。日夜、業務に追われる日々が続いた。
こうしたなか、61歳のときに参加した「全教一斉ひのきしんデー」の会場で、地域の教会長から手配りひのきしんへの協力を依頼された。その場で「喜んでさせてもらいます」と引き受けた井上さんは、以降、地域の教友宅に時報を毎週届けるようになった。
転機が訪れたのは翌年。高血圧や尿管結石などの身上を見せられた井上さんは「これまで仕事に追われるあまり、お道の活動から心が離れがちだった……」と思いが至り、退職を決意。教理を学び直そうと修養科を志願した。
修養生活では、父親の姿を思い出し、神殿掃除や詰所のひのきしんなどに「自ら率先して動かせていただいた」。すると修了後、薬を飲むこともなく症状が治まるというご守護を頂いた。
「教えをひたむきに実践すれば、どんな困難があっても結構にお連れ通りくださると確信し、これからは親神様・教祖に喜んでいただけるように通ろうと決意した」
同じころ、地域の教会長や教友から災救隊の理念や活動内容などを聞く中で、「元陸上自衛官である自分にできるおたすけは、まさにこれだと感じるようになった」と述懐する。
翌年の平成21年8月、兵庫県佐用町で台風に伴う豪雨により水害が発生。実家付近での災害に、井上さんは「お手伝いさせていただこう」と現地へ赴いた。すると、現場で当時の災救隊兵庫教区隊長に遭遇。元自衛官であり、ようぼくとして被災地支援に駆けつけた旨を伝えると、「これからよろしく頼むよ」と教区隊への入隊要請を受け、その場で二つ返事で了承した。
以後、23年の「東日本大震災」や「平成28年熊本地震」「令和6年能登半島地震」などの被災地へ災救隊の隊員として出動した。
入隊当初から隊員の中では高齢だったが、自衛隊時代に培ったロープワークや機材管理のノウハウなどを存分に発揮し、屋根上でのブルーシート設置など、体力と技術が必要な作業を担った。
「東日本大震災」の出動から井上さんと共に作業に当たる、兵庫教区隊長の刑部武史さん(60歳・津原分教会長)は、「自衛官として培った知識やノウハウはとても豊富で、私自身も多くのことを教えていただきました。また、穏やかで社交的な人柄であり、隊全体の雰囲気が明るくなります。これからも隊の“支柱”として、その経験と温かい人柄を隊全体に広めていただきたい」と話す。
また、手配りひのきしんの拠点教会の会長として知り合い、17年にわたって訓練を共にする舩曳陽一さん(56歳・稲東野分教会長)は「訓練でも、井上さんの『疲れた』『しんどい』という言葉を一度も聞いたことがありません。どんな作業にも骨身を惜しまず取り組まれる姿は、若い隊員たちにとっても素晴らしいお手本です」と語る。
身体を大切に御用に励み
災救隊や手配りのほか、支部のにをいがけ実動日にも参加。また、教区のひのきしんにも携わるなど、その姿は地域教友に広く知られるという。
さらに、本部と所属教会の月次祭に欠かさず参拝。教会を通じて「本部炊事ひのきしん」などの要請が入ると、真っ先に手を挙げる。
所属教会の中山善彦会長(65歳)は「ひのきしんの要請があれば、必ずといっていいほど、教会を代表して参加してくださいます。本当に頼りになる存在であり、教会にとってなくてはならない存在です。その姿に、私自身も刺激を受けています」と話す。
また、いつでも即応できるよう、毎日10キロのウオーキングを続ける。さらに、歯みがきも徹底しており、現在も32本すべての歯が健在だ。
「健康管理も信仰実践の一つ。元気な身体をご守護いただき、災救隊はもちろん教区や支部の“ひのきしんの現場”に駆けつけられるよう、信仰実践に努めていきたいと思うとります。継続は力なり。これに尽きますね」
◇
災救隊の訓練を終えた井上さんは、自宅へ戻ると休む間もなく時報の手配り拠点へ。その足取りは軽く、背中には“生涯現役”を貫くようぼくの喜びと誇りがにじむ。


「常に“人だすけ”に自らの喜びを見いだしていた父の思いを、いまなら理解できる気がします。この年になっても身体が元気なのは、神様からの『まだ頑張りなさい』とのメッセージかもしれないと感じるんです。親神様・教祖に勇んだ姿をご覧いただけるよう、これからも“生涯現役”で人さまに喜んでいただける道を歩ませていただきたいです」
文=久保加津真
写真=茶谷堅












