立教184年5月月次祭 – 山々の緑したたるなか
教会本部の5月月次祭は26日、中山大亮様祭主のもと、本部神殿で執り行われた。 大亮様は祭文の中で、世界たすけの御教えを啓いて、陽気世界へとお導きくださる親神様のご慈愛に御礼申し上げたうえで、「御前には・・・
教会本部の5月月次祭は26日、中山大亮様祭主のもと、本部神殿で執り行われた。 大亮様は祭文の中で、世界たすけの御教えを啓いて、陽気世界へとお導きくださる親神様のご慈愛に御礼申し上げたうえで、「御前には・・・
教祖は、日夜、お屋敷へ寄り来る人々に教えを伝えられるなか、自らおたすけに出向かれることもあった。『稿本天理教教祖伝逸話篇』102「私が見舞いに」によれば、河内国教興寺村の松村栄治郎の妻さくの見舞いに赴・・・
竹村喜久信立教184年5月28日お許しを頂かれました。 内統領室
梅雨空のなか、山の辺の道を桜井市方面へ向かった。知人から大神神社のササユリが咲いたと聞いて、この目で見に行くことにしたのだ。この花は、同社のご神花として大切に育てられている。 かつては、ご神体の三輪山・・・
初夏に白く大きな花を咲かせます。蕾の状態で花瓶に活けると、咲かずにしおれたり、咲いても、すぐに花びらが茶色くなります。 芳香を放つのもわずかな時間です。それだけに、開花の瞬間に立ち会えたときの喜びはひ・・・
半世紀以上にわたって大衆演劇の世界を牽引し続ける俳優の梅沢富美男さん。近年はバラエティー番組などにも多く出演し、俳人・夏井いつきさんとの互いに歯に衣着せぬやりとりも毎回人気を集めています。 「すきっと・・・
「部活、辞めます」 高校に入学したS子が、迷わず入った部活がバレーボール部でした。小学校から続けてきたセッターのポジションにやりがいを感じ、技術に磨きをかけて思う存分バレーを楽しみたいと、そんな希望を・・・
わが子の成長する姿を見るのは、うれしいものです。けれども時に、それを物足りなく思ってしまうことがあります。それは、ほかの子供と比べるからではないでしょうか。 子供の成長の仕方は一人ひとり違います。です・・・
「毎朝、公園の清掃をしている婦人がいます。声をかけると、天理教を信仰している方で、『ひのきしん』をしているとのこと。聞いたことのない言葉ですが、奉仕活動のようなものでしょうか」と、幼児を連れたお母さん・・・
いまは大人も子どもも折り目やけじめがなくなって、何事にせよ、だらしなく感じるのは、おばあちゃんの見方かしらねえ。 自然の世界でも、夏から秋になるのに何月何日からとはっきり区切れるわけではないけれど、や・・・
万歩計の0に春風日本橋横浜市 番家 達也 合格子へ別席を説く神の前大津市 平井 紀夫 風光る浜街道の渚形明石市 石田 史枝 飛花落花園児の列を解き放つ横浜市 中尾 砂江 時満ちて霏霏たる桜やかた前天理・・・
毎週土曜か日曜の早朝放送 2021年6月の放送予定 6月5日・6日:第1129回「僕のドキドキ」 6月12日・13日:第1130回「門出のスーツ」 6月19日・20日:第1131回「お母さんのハンバー・・・
文・伊橋幸江 天理教校本科研究課程講師 新型コロナウイルスのパンデミックという困難のただなかにあるいま、その闇を照らす灯を、教祖の「ひながた」の道を歩まれた先人の姿にみつけることができます。 奥さんは・・・
第946期吉元瞳さん28歳・兵庫県加東市・元福田分教会所属 小学生のころからアトピー性は皮膚炎を患い、顔が赤く腫れるなど、かゆみや乾燥でつらい思いをしていました。 そんな私を心配した母は、教会日参を始・・・
モノクロームの教史の1シーンが、AIによって今によみがえる。その彩色された世界から見えてくるものは―――。 伊勢湾台風が近畿・東海・中部地方の全域に甚大な被害をもたらしたのは、昭和34(1959)年9・・・
Q.昨年、新卒で就職したものの、「つらい思いをしてまで働きたくない」と感じ、1年も経たずに退職しました。実家暮らしで、自室に引きこもっている現状に焦りを感じつつも、心のどこかで安心しています。ここから・・・
八木千津子さん(97歳・大原大・近江勢多分教会初代会長)4月16日出直された。滋賀教区。 安川紀代子さん(95歳・髙安大・東六郷分教会前会長夫人)4月21日出直された。大阪教区。 下村俊彦さん(85歳・・・
人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない。 『稿本天理教教祖伝逸話篇』86「大きなたすけ」 当時、高校1年生の長男が熱中症で倒れたのは、東北でも最高気温37度の「猛暑日」でした。剣道の部活動中・・・
東京商工リサーチによれば、昨年1年間に休廃業や解散に追い込まれた企業は、49,698件と調査開始以来最多となった。事業承継がスムーズに進まず、社長の高齢化(70代が最多)が休廃業や解散に拍車をかけたと・・・
高野ミツエ(73歳・高松市) 60年前のこと。教会で生まれ育った私は、中学3年生のとき進路に悩んでいました。そんななか、なんとなく『天理時報』を眺めていると、天理高校第2部の入学案内が目に留まったので・・・