信仰の元一日を忘れぬよう – 道を楽しむ6
私には三つの誕生日がある。まずはオギャーと生まれた日。そして生涯の宝、おさづけの理を拝戴した日。三つ目は、忘れられない大学2年の9月26日である。
大学の夏休みに念願の運転免許を取った私は、後期授業が始まるまで、地元で父親の車を借りて乗り回していた。
そんなある日、運転中に土砂降りの雨に見舞われた。早く帰らねばと家路を急いでいると、路上に大きな水たまりが出現。速度を落として静かに走り過ぎればよいものを、免許取りたての未熟なドライバーは、思わず力いっぱいブレーキを踏んでしまった。車はスリップし、左前方から歩道をジャンプ台にして大きく跳ね上がり、反時計回りにゆっくりと180度回転しながら休耕田に墜落した。運転席の右側から電柱に激突。車は大破。しかし私は奇跡的に、かすり傷一つ負っただけだった。
後日、車の残骸を見た父親は「よく助かったなあ」とつぶやき、震えた。運転席は目を覆いたくなるような無残な状態。電柱の位置がちょっとでもズレていれば、命は無かったに違いない。私の信仰の元一日となった。
その日から丸30年経った9月26日、教会長の理のお許しを戴いた。奇しくも、あの事故と同じ日に教会長になるとは。しかも、教会設立120年、7代目にして初めて長男が教会長になった。命あってこそのこの日。わが信仰の元一日を決して忘れないようにと、肝に銘じた。
さらに偶然が重なる。会長就任後、ある信者さんが中古のバスを御供えしてくださった。ありがたいお話に、心浮かれて車両を引き取りに向かったところ、店舗に着いてビックリ。そのバスは、かつて私が車ごと墜落しとた場所に停まっていた。休耕田はその後埋め立てられ、中古車販売店になっていたのだ。浮わついた心に、釘を刺された思いだった。
「事実は小説より奇なり」というが、ここまでくると単なる偶然とはいえない。調子に乗りやすい私に、いつの日も信仰の元一日を忘れぬよう、折々に親神様が導いてくださっている。実にありがたい親心である。
ちなみに大破した車は、トヨタの「コロナ」だった。いまのご時勢、やはり忘れられない。
中田祥浩 花巻分教会長