WBCと阪神愛 – 世相の奥
2023・6/14号を見る
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3月のWBCでは、野球の国別対抗戦だが、日本代表チームが優勝した。いわゆる侍ジャパンが日本に、一位の栄冠をもたらしている。旧聞にぞくする話題でもうしわけないが、あれをもういちどふりかえりたい。
全日本の臨時チームは、本大会へのぞむ前に、日本で何度か練習試合をおこなった。日本のプロ野球チームを相手に、何試合かをこなしている。私がひいきをする阪神タイガースも、京セラドームで、その相手をひきうけた。
球場へつめかけた人びとは、やはり阪神に声援をおくっていたという。全日本の選手たちにたいしては、大谷翔平もふくめ、野次をとばしていたと聞く。海外のジャーナリストには、その光景でおどろいた者もいたらしい。日本人が、みなナショナルチームを応援するわけではないのだ、と。
私はこの壮行試合を見ていない。しかし、WBCの本大会は、時間がゆるすかぎり、テレビでながめている。そして、自分のなかにひそむある心模様を、あらためてかみしめた。
DeNAの今永が先発となった試合を、例にとる。その一球目は、目のさめるようなインコースのストレートだった。これを見た瞬間、私の心はしぼんでいる。今年も阪神は、今永を打てないかもしれない。こまったなあ、と。よし、今日の今永は調子がいい。これならいけるとは、思えなかった。
ヤクルトの村上がスランプ気味だったことも、おぼえておられようか。これを、心のせまい私は、ややほくそえんでいた。昨年のヤクルトを優勝へみちびいた立役者が、くるしんでいる。阪神にとってはめでたい話だと、肯定的にうけとめる自分がいたのである。
周知のように、村上は準決勝と決勝で活躍した。そのおかげもあり、全日本は優勝することができている。日本人の私が、この結果をよろこばなかったわけではない。なにほどかは、うれしかった。しかし、村上の覚醒には、少々おちこんだことをおぼえている。
全日本への想いより、阪神愛が優先する。そんな私は、どこかに非国民的な感情をかかえているようである。しかし、愛国心の高揚をおさえる防波堤に阪神愛はなっているとも、痛感した。WBCの直後には書きづらかった想いを、3カ月近く間をおいて、公表したしだいである。
井上章一・国際日本文化研究センター所長