親神様・教祖にもたれきりコンゴの地に「陽気ぐらし」を – わたしは初代
2023・10/11号を見る
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『教祖伝』が入信のきっかけ コロナ禍もおたすけを続け
本部直属コンゴブラザビル教会長に就任
マテラマ・ギィ・ラウールさん
(54歳・ブラザビル市)
日本から1万4千キロ離れたアフリカ大陸の中部に位置するコンゴ共和国。既報の通り、9月26日のお運びで、コンゴの首都ブラザビルにある本部直属コンゴブラザビル教会の6代会長にマテラマ・ギィ・ラウールさん(54歳)が就任した。信仰初代のギィさんは、自身の身上・事情からお道に引き寄せられ、自ら教えを求めるように。以後、少年会コンゴブラザビル団団長や同国内のポワント・ノワール布教所長などを歴任し、2023年6月からは修養科フランス語クラスの一期講師を務めた。アフリカ唯一の教会長として新たな一歩を踏み出すギィさんが、陽気ぐらし実現に向けて大切にしている思いとは――。
コンゴの道が始まったのは約60年前。1960年、中山正善・二代真柱様が現地へ赴かれたことをきっかけに、その後、本部青年の高井猶久氏が派遣。おつとめの勤修とおさづけの取り次ぎにより、数々の不思議なご守護が現れた。やがて参拝者が増えていき、66年、コンゴブラザビル教会が設立された。
こうしたなか、98年にコンゴで内戦が勃発。信者は散り散りになり、当時の教会では慌ただしい日々が続いた。
ギィさんが初めて教会を訪れたのは、内戦終結後の2002年のことだった。
◇
ギィさんはブラザビルから約200キロ離れた町で生まれた。父親は無神論者。6歳のころ、自宅を訪ねてきた某宗教の布教師から「この世の終わりがくる」と聞かされ、ショックを受けた。以来、神の存在を信じなかった。
中学生のころからビジネスを始め、大学1年生の修了時に中退し、本格的に起業。順調に業績を伸ばしていった。
ところが、ほどなくして当時52歳だった父親が急逝。その直後、事業存続に関わる商品の盗難被害に遭い、倒産に追い込まれた。別の事業で再起を図るも、立て続けに事情に見舞われた。
さらには、自身に「白内障」が発覚。医師から「いつ目が見えなくなってもおかしくない」と告げられた。やがて、ほとんど目が見えなくなるまで視力が低下し、仕事を辞めざるを得なくなった。
「深い絶望感に襲われ、人生に対する意味が見いだせなかった」
絶望の淵に立たされたギィさんは、行く当てもなく同郷の友人宅に転がり込んだ。そこで目にした一冊の本が、ギィさんの人生を大きく変える。
「陽気ぐらし」の教えに感銘受け
同郷の友人は天理教に入信したばかりの信者で、自宅には仏語訳された『稿本天理教教祖伝』があった。
「なんとなく惹かれるものがあり、手に取って読んでみた。『白内障』の影響で、とても字を読むことなどできないはずが、不思議と視界が澄み、すらすらと読めた。衝撃的な体験で、神の存在を感じずにはいられなかった」
自身の目に見せられたご守護と、『教祖伝』に記された教祖の通り方に深く感動したギィさんは、自らお道の教えを求め、2002年に初めて教会へ足を運んだ。
その後、毎日のように教会でひのきしんに励み、週に一度のにをいがけにも欠かさず参加しながら、日本人教友からお道の教えを聞いた。
「最も感銘を受けたのは、陽気ぐらし世界の実現を目指す教え。天国や異なる世界で幸せになるための教えではなく、自らの心づかいによって人生が変わっていくという教えが強く心に響いた」
そのころ、「教義講習会」(海外部主催)でディアム・アンガナ・ペジー・ロレットさん(47歳)と出会い、ほどなく夫婦になった。
その後も日本人教友と共に布教に歩くなか、身上者が鮮やかなご守護を頂く姿を何度も目にしてきたという。
ある日、足がただれた少女が、日本人教友のおたすけにより、数日後にはきれいに治るというご守護を見せられた。少女の家族は感激し、教会につながるようになった。
また、重病を患う男性のもとに、教会の信者が入れ替わり立ち替わりおたすけに通った。男性と娘は信者の姿に感銘を受け、男性が出直した後、娘がようぼくの仲間入りを果たし、現在も教会に住み込みながら御用に励んでいる。
「親神様・教祖の数々の不思議なお導きを目の当たりにし、この道は間違いない教えなのだと、あらためて確信した」
2006年、教会創立40周年の節目に、少年会コンゴブラザビル団が結成され、ギィさんが団長に指名された。
2年後、ギィさんは初めておぢばへ帰り、おさづけの理を拝戴。翌年、ポワント・ノワール市のポワント・ノワール布教所長に就任し、その後、教会役員も兼任。再びおぢばへ帰り、修養科を修了した。
「おぢばには、をやの温もりが溢れていると感じる。おぢばの人々は皆優しく、をやの温もりが教友に影響を与えていると思う」
伏せ込みの理を教友らに映して
4年前、新型コロナウイルス感染拡大はコンゴにも多大な影響を及ぼした。「病院へ行くと、コロナに罹ってしまう」という噂が流れ、ポワント・ノワール布教所には、たすかりを願う人々が連日詰めかけた。
当時、未知のウイルスに不安を抱いていたギィさんは、布教所を訪れる人々への対応に悩んだ。しかし「教祖の道具衆として、おさづけを取り次がせていただかなければという使命感に駆られた」。
他宗教の施設が閉鎖されるなか、布教所では毎日おつとめを勤め、たすかりを願う人々におさづけの取り次ぎを続けた。
「たとえ自分が病に倒れることがあったとしても、親神様にもたれきる思いで、教祖の手足として働くことを誓って、おたすけに奔走した」と振り返る。
◇
ギィさんは今年3月から半年間おぢばに滞在し、教人資格講習会、教会長資格検定講習会を受講。6月からは修養科フランス語クラスの一期講師を3カ月間務めた。
「教祖ならどうなさるかと、常に考えながら通らせていただいた。これは私にとって、コンゴで教会につながる信者や、これから出会う人たちをたすかりへ導いていくための指針を教えていただいた期間でもあった」
7月末からは、4年ぶりに実施された「こどもおぢばがえり」で、お茶接待のひのきしんに汗を流した。
また9月18日には、ギィさんとペジーさんが本部教祖殿で結婚式を挙げた。コンゴでは、一般的に結婚式を挙げることが少ないという。ギィさん夫妻は、教祖の御前で、ようぼく夫妻として新たな一歩を踏み出すことを誓った。
さらに翌日、ギィさん夫妻らが天理小学校を訪れ、交流会を実施。コンゴの文化や暮らしを紹介した。
26日、ギィさんはコンゴブラザビル教会6代会長のお許しを戴いた。11月11日には、現地で就任奉告祭が執り行われる予定だ。
教祖140年祭に向けて、教会が掲げる心定めは「自分たちの力で新たなようぼくをご守護いただく」こと。ギィさん個人としては「柔軟な心づかい」だという。
「コンゴの地で陽気ぐらしの実現に向けて歩んでいくうえで、親神様・教祖にもたれきることを大切にしたい。そのためには、教会につながる信者たちの一手一つの和が欠かせない。お互い信頼し合える環境づくりに徹したいので、まずは私が柔軟な心づかいを意識し、この半年間の伏せ込みの理を、しっかりとようぼく・信者に映していきたい」
文=加見理一/写真=山本暢宏