たすかりと治まりを願い 丁寧に慎重に、ゆっくりと – 逸話の季
2024・1/31号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
冬至がすぎて立春も近づき、少しずつ日が長くなってきました。とはいえ、まだ手のかじかむ寒さが続いています。
子供たちが拾ってきたどんぐりが芽を出し、大きく成長したクヌギの木は、冬枯れのあとに今年も大きく刈り込みました。毎年、ほぼ丸刈りにしますが、それでも春になると新しい枝がぐんぐん伸びて、初夏には色鮮やかな新緑に覆われます。枯れ木のような無彩色の樹皮の内側は、春を待つ生命の息吹に満たされているのです。
*
厳寒のある日、泉田藤吉がおぢばへ帰らせていただいたところ、教祖は膝の上で小さな皺紙を伸ばしておられました。そして、「こんな皺紙でも、やんわり伸ばしたら、綺麗になって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない」とお諭しくださいました。
このあと泉田は、喜び勇んで大阪へかえり、より一層熱心におたすけに回ったのです。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「六四 やんわり伸ばしたら」
*
何かを包んで折り目や皺がついた紙は、容易に元の状態には戻りません。だから大抵は、もう一度使おうとせずに捨ててしまいます。
しかし、教祖は「こんな皺紙でも、やんわり伸ばしたら、綺麗になって、又使える」と仰せになりました。
慎重に、そして丁寧に、ゆっくりと皺を伸ばしていく作業には時間がかかります。それでも、たんたんと膝の上で皺紙を伸ばす教祖のお姿には、あらゆる人に救いの手を差し伸べられる深い親心を感じます。
*
よく似たエピソードを伝える逸話の一つに、「人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで」とも仰せになっています(同「四五 心の皺を」)。
傷ついた人の心を癒やし、複雑に入り組んだ心の葛藤を解きほぐすのは、たやすくありません。教祖のように、丁寧に慎重に、ゆっくりと人と向き合う姿勢が不可欠でしょう。
また、きれいに伸ばした皺紙は、しばしば「おふでさき」の書写に使われました。やんわり皺を伸ばした、不ぞろいの紙に書き記された「おふでさき」は、ようぼくの使命である「たすけ」の一つの究極の姿を象徴しているのではないでしょうか。
文=岡田正彦
この写真をプレゼントします。詳細はこちら