並んで歩く、それだけで – 成人へのビジョン 45
2026・5/20号を見る
【AI音声対象記事】
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この春、次女が小学校に入学しました。これで子供たち三人とも小学生です。
4年生になった長女は、学校へ行くのがイヤで、「学校行きたくない~」と言っては、登校をしぶって休むこともたびたびでした。けれど、私には確信がありました。次女が入学すれば彼女は学校へ行く、と。そう、彼女は妹の入学をきっかけに、それまでの「兄に手を引かれる妹」から「妹の世話をするお姉ちゃん」になったのです。
次女の入学以来、彼女は早起きしては妹の準備を手伝い、朝づとめにも出るようになりました。定刻には三人揃って学校へ出発。次女はそんなお姉ちゃんのおかげもあってか、毎日の登校が嬉しそうです。
あれほど行きたくなかった学校へ、いまでは自然と足が向くようになりました。けれど、学校は何一つ変わっていません。変わったのはただ、「妹も一緒」それだけです。でも、その「それだけ」で彼女の気持ちは前を向いたのです。
彼女は可愛い妹のお姉ちゃんとして、小学校の先輩として、妹の面倒を見ています。何も気張っているわけではありません。見れば分かります。それは自然な気持ちなのです。学校のことよりも、大事な妹のことで、彼女の心はいっぱいです。
私は思います。彼女は妹の世話をしながら、同時に妹から力をもらっているのだと。妹は姉を助けようとしているわけではありません。むしろ助けてもらってばかりです。でも、その妹の存在が、姉にとっては何よりの元気の源なのです。大切に思う相手がいる。それだけで、人は頑張れる。そんなふうに人間はできているのかもしれません。
妹は姉に支えられている。姉もまた妹に支えられている。もしかしたら、そんなことを頭で考える必要もないのかもしれません。あるのはただ、大切な人の存在と、その人を想う気持ち。
娘のそれは、「おたすけ」と呼ぶには大げさです。神様のお話も、ちっとも出てきません。けれども、このありふれた、ほんの小さな心の変化に、私は「人救けたら我が身救かる」の原風景を見る気がします。人のことを想うとき、自分のことがどこかへいってしまう。それは、なんと素敵な人の性でしょう。
今朝もまた、三つ並んだランドセルの後ろ姿を、妻と二人見送ります。










