「苦手」を克服し一歩前へ – 視点
2023・7/5号を見る
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「下手の横好き」とは、下手にもかかわらず、そのことが好きで熱心に取り組み続けるという意味であり、たいていは謙遜して言うことが多い。対義語は「好きこそ物の上手なれ」だろう。いずれにせよ、ある物事を好きになれば少しずつでも上達していく。好きであること、夢中になれることが上達の第一条であろう。
一方、好きの反対は嫌いだが、嫌いにならないことも大事だと思う。ある物事が嫌いになり、遠ざけたり拒絶したりせず、「苦手」に留めておく。苦手な状態であれば、やがて克服できる可能性がある。嫌いになって取りつく島がなければ、改善の余地はない。嫌いを嫌いなままに留めず、苦手へと昇格させる、そのちょっとした違いが、将来、大きな違いになっていく。
ところで、お道の活動で苦手と感じることはないだろうか。「ひのきしんはできるが、にをいがけ・おたすけ、おさづけを取り次ぐことは……」という人は少なからずいるのではないか。先に挙げた苦手な例は、相手があってこそであり、こちらから申し出ない限り実行が難しいため、苦手意識を持つのかもしれない。
苦手の克服は、それを実行することが自分にとってプラスになる、成長につながると信じられるかどうかが鍵だろう。新たな価値観を見いだせるかどうかである。苦手なことに取り組む際は、自らの心のハードルを下げ、まずは一歩前へ進むことを意識すれば、心はずいぶん軽くなる。
「みかぐらうた」に「なにかこゝろがすんだなら はやくふしんにとりかゝれ」(八下り目七ッ)とある。心が少しでも澄んで謙虚になり、それに取りかかることへの価値を見いだしたなら、心のふしんのために、にをいがけ・おたすけに取りかかるよう促されていると思案する。続くお歌では、「やまのなかへといりこんで いしもたちきもみておいた」と仰せられる。
いまは教祖140年祭へ向かう旬。たとえ上手に教えを取り次げなくても、心を澄まし、成人への一歩を踏み出そう。それが苦手の克服につながり、やがて「下手の横好き」へと昇華していく。その努力の中で、「この人に教えを伝えたい」と思う相手と出会わせていただけると信じる。
(永尾)