「おふでさき」に溢れる親心 – 視点
2023・11/22号を見る
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真柱様は、秋季大祭のあいさつの中で、教祖の個々のご行動やお言葉はもちろんのこと、「まず教祖は、50年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひながたとして忘れてはならない」とお話しくださった。
この諦めることなく、丹精し続けられた教祖のお心の一端は、『稿本天理教教祖伝』の「第八章 親心」に示されている。
第八章をよく読むと、この章の冒頭には「神」「月日」「をや」と頭註がつけられ、章の最後のところでも「おふでさき」の「神」「月日」「をや」について言及されている。
言葉をかえると、第八章は「『神』『月日』及び『をや』について」に始まり、これをもって締めくくられている。教祖の親心の中心は、これに尽きることを意味している、と読むことができよう。
この「おふでさき」における神名の変遷は、中山正善・二代真柱様によって初めて指摘された。
この研究のポイントは、神名の変遷を明示された点にのみあるのではない。この研究を通じて、二代真柱様は、①「おふでさき」は子供である人間のことを第一に考えて、その成人に応じて「順序」を立てて書かれていること ②「おふでさき」は文面にあらわれている以上に、親として子供を思う大きな「親心」が行間に込められていること ③「親心」を「悟り取る」ところに、信仰の喜びと味わいがあること――を教えてくださったのである。
「おふでさき」に溢れる教祖のうまぬたゆまぬ親心は、昔も現在も変わることはない。教祖は私たち一人ひとりに親として接してくださり、その人に一番相応しいように今をお導きくだされている。
「言外に含められたところの親心というものを、私達はよく悟らなければならない」(昭和40年8月15日「学生・生徒修養会(前期)」に於けるお話」)とは、二代真柱様のお言葉である。
教祖のたすけ一条の親心に対する信念を堅く持つとともに、そのお心を自らの心として、誠真実の生き方を心がけたい。
(山澤)