失敗に学び前へ進む – 道を楽しむ
2024・2/7号を見る
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ご存じ、通信販売大手の「ジャパネットたかた」。以前、学生担当委員会発行の『Happist』の取材で、長崎県佐世保市にある本社へ赴き、創業者である髙田明氏のお話を聞く機会に恵まれた。
社長時代、テレビでの情熱的な語り口調で知られた髙田氏。いまは経営をご子息に譲り、独自の活動を展開されている。
お聞きした話の中で、いまでも忘れられないフレーズがある。「私、失敗したことがないんです」との言葉。親が経営していた街の小さなカメラ店から、あれだけの会社とシステムを一代で築き上げた髙田氏だけに、もっともだと思った。
ところが氏は「私、いわゆる失敗を“失敗”と解釈しないんですよ。失敗は試練や次への課題だと思っているんです」と言葉を続けた。創業以来、幾度となく失敗や難局を経験し、苦渋を味わってきた。にもかかわらず今日の成功があるのは、「成長は失敗を受け入れることから始まる」との氏の信念に支えられてきたからだろう。
俗に「失敗は成功のもと」といわれるが、もちろん単に失敗すればいいというわけではない。いかに失敗から学び、前へ進むのかが大切で、その学びを生かさなければ、次の成功にはつながらない。
これは、私たちが親神様から見せられる節の受けとめ方にも通じるのではないか。もちろん、節があればいいというものではない。親神様は、私たちの心得違いを気づかせ、良きほうへ導くために節を下さる。節を頂いても、その思召に気づかなければ当然、成人はおぼつかず、きっと新たな節を見せられるだろう。節を生かし、成人への努力を期すところに、節から芽が出るご守護が頂けると思う。
元旦に神様のお言葉を短冊にしたため、今年の指針としたお歌がある。
むねのうち月日心にかのふたら いつまでなりとしかとふんばる
「おふでさき」十三号99
自分自身、これまでの道中を振り返り、たびたび大難を小難にご守護いただき、今日があることを実感せずにいられない。同時に、節を繰り返し頂く姿を省みて、身の引き締まる思いでもある。
中田祥浩・花巻分教会長