神苑の紅梅あでやか 豊かな「芽が吹く」未来へ – 逸話の季
2024・2/28号を見る
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2月です。暦のうえでは春ですが、いつもは1年で最も寒さの厳しい時季です。ところが今年は、暦そのままに暖かい日が続いています。毎年、同じサイクルで季節が移り変わるように感じていても、やはり昨年と今年は違います。
先日、参拝した際には、教祖殿前の紅梅はすでに見頃を迎えていました。大和の山間部でも、梅の蕾がほころんでいます。今年は今年の春がやって来ます。
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明治19年2月18日(陰暦正月15日)から、教祖は89歳のご高齢の御身をもって、最後の御苦労に赴かれました。この冬は「三十年来の寒さであった」と伝えられています。
このとき、教祖は「此処、とめに来るのも出て来るも、皆、親神のする事や」とし、御苦労については「親神が連れて行くのや」と仰せられました。
また、官憲の取り締まりや干渉については「此処、とめに来るのは、埋りた宝を掘りに来るのや」とし、拘留・投獄等に際しては「ふしから芽が吹く」と仰せられて、目の前の出来事の根底にある親神様の思召を説き諭し、驚き迷う人々をお連れ通りくださいました。
『稿本天理教教祖伝』第九章「御苦労」
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周囲の人々にとって、ご高齢の教祖の「御苦労」は、一つの「ふし」としてたやすく受けとめられる出来事ではなかったはずです。先人たちの不安や悲しみや動揺は、現在の私たちの想像を絶するものであったでしょう。
ところが、当事者である教祖は、全く泰然自若として動ずることなく、未来の姿を見据えて現前の「ふし」と向き合われました。そのお姿は、どれほど人々を励ます大きな力になったことでしょう。
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教祖がお帰りの日には「門前一帯に人の山」が築かれ、多数のお迎えの人と人力車の行列が続きました。現在の出来事には、必ず未来になって納得できる意味があるのです。
しかし、それでもすぐに心が動揺するのは、先の見えない私たちにとって、人生の不安を払拭することは難しいからでしょう。だからこそ、教祖の「ひながた」をたよりに、現前の出来事に真摯に向き合うしかないのです。その「ふし」の先には、必ず豊かな「芽が吹く」未来があるのですから。
文=岡田正彦
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