無宗教人口の増加に思う – 視点
2024・3/27号を見る
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世界の宗教動向に関するある調査で、キリスト教、イスラム教に続き、「無宗教」の人口が3番目に多いことが分かった。日本は、確立された宗教を信仰しない「無宗教」の人が、中国に次いで2番目に多いという。
また、日本の無宗教者の3分の2が「宗教の教えに疑問を持っている」「神を信じていない」と答えたが、「宇宙には高次の力や霊的な力が存在する」という考えを否定したのは無宗教者のうち29%。さらに、人間の尊厳や存在意義など霊魂や精神世界を重んじる「スピリチュアリティ」を宗教思想と切り離して考える人も多く、無宗教者の63%が「自然界を超えたスピリチュアルな現象がある」と考えている。
以上の調査から分かることは、「無宗教」というカテゴリーには、実は「何らかの精神的な信仰を持つ者」が多数含まれているということだ。無宗教者でも、人生の重大事において神社で願い事をしたり、占いを信じたり、験を担いだり、悪いことをしたらバチが当たると考えたりといった心性を持つことが少なくない。
特定の宗教団体に属するという意味ではなく、神や仏以外にも、この世界には科学では計り知れない力や不思議が存在し、人間はその影響下にあると認めることが宗教性を有するということではないか。そう定義すると、大半の人は、それについて否定的ではないだろうと推察する。
一方で、無宗教とは、科学的に証明できない不思議や奇跡を疑うという半面もあるだろう。「疑う」と「信じる」は反目する心根である。
私たちは、「お道を歩む」「お道を通る」という表現で信仰や信心を語ることが多い。教祖のひながたの道をたどる努力を、自らの“人生の道”において積み重ねるという意味が、そこにあると思う。
いまゝてハしんぢつ神がゆてあれど
うちからしてもうたがうはかりこの事ハあくどいほともゆうてをく
(おふでさき十三号62、64)
これうたがへばまことこふくハい
その疑いの心を払拭するには、たすけの実を挙げて、それを目の当たりにすることだ。
私たちがそれぞれの生活圏でたすけの輪を広げ、ご守護を頂くために真実を尽くしていく――。その地道な歩みが、無宗教者とされる兄弟姉妹への“架け橋”になるのだ。
(永尾)