手を取り合い未来へ一歩 – 日本史コンシェルジュ
2024・3/27号を見る
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1945年8月9日、スイス人医師マルセル・ジュノー博士が来日しました。連合軍捕虜を救済するための調査が目的でしたが、広島の惨状を知った博士は、直ちに連合軍司令部へ救援を要請。博士は、9月8日に自ら広島入りして医薬品15トンを届けると、被爆者の治療に当たったのです。
ある救護所で、日本人軍医から被爆者の解剖の標本や写真について説明を受けた博士は、選んだ十数枚の写真を赤十字で借りたいと申し出ました。これに対し「軍事機密だからお貸しできない」と軍医が断ると、博士はテーブルを叩いて詰め寄り、軍医を説得したそうです。
「何が軍事機密ですか!あなたはまだ戦争をしているつもりですか。不幸な戦争がもたらしたこの悲惨な証拠を全世界の人々に見せることが、戦争の再発を防ぐことになると思いませんか。亡くなった被爆者や患者にとって、それが最も意義のあることだ」
敗戦を目前に混乱する日本と、原爆の残虐性を覆い隠したい連合国。そのどちらにも与せず、助けを求める人々の声に一心に応え続けた博士の生涯は、国境を越えた無償の愛に貫かれていました。彼は夥しい被爆者の命を救っただけでなく、生涯を通じて、核兵器の非人道性を国際社会に訴え続けたのです。
2016年5月27日、オバマ米大統領が広島を訪問。安倍晋三首相と共に平和記念資料館を見学した後、原爆死没者慰霊碑に献花し、犠牲者を追悼しました。この後、大統領は、ある日本人男性をそっと抱き寄せました。自身も被爆者でありながら、旧日本軍の捕虜となり被爆して亡くなった米兵を調査し、遺族に知らせる活動に長年携わってきた森重昭さんです。
これまで「ヒロシマ」は、人類が犯した戦争という過ちと向き合う場であり、その悲劇の象徴として語られてきました。しかし、その愚かな人間は、同時に、正義と人道を愛し、実践する存在でもあるのです。そのことを、ジュノー博士や森さん、そして広島の人々が証明してくれました。
人類史上初の原爆投下という悲劇に見舞われ、非戦闘員である一般市民が多数犠牲となりながら、その恨みを継承するよりも、かつての加害者と被害者が手と手を取り合い、未来に向けて勇気ある一歩を踏み出す道を選んだ人々を、私は誇りに思います。
「ヒロシマ」が悲劇の象徴から、愛と希望の象徴へ!そんな新しい時代を築いていきましょう。