三年千日の折り返しに向けて – 中田善亮表統領 特別インタビュー
2024・4/24号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
これまでの歩みを振り返って目標を見直し
教会を拠点に年祭活動を盛り上げよう
教祖140年祭へ向かう三年千日活動は、間もなく折り返し点に差し掛かる。年祭活動2年目の今年は、教会やようぼくが自ら定めた目標に向かって、教えの実践に拍車を掛けることが求められている。そこで、今後の年祭活動における全教の歩み方について、3月26日のお運びで再任された中田善亮表統領に、諸井道隆・道友社長がインタビューした。
――3月26日のお運びで両統領が再任されました。任期中には、教祖140年祭を迎えますが、表統領として、あらためて時旬への思いをお聞かせいただきたいと思います。
中田表統領 いまはとにかく教祖140年祭に集中していくことが、すべてだと思います。何についてもご存命の教祖に真ん中にいていただくということを考えて通ることが大切だと思います。
教祖が私たちにご期待くださることがあるとすれば、それはどういうことなのか。このたびの自分の三年千日の歩み方は、教祖の目からご覧になって、どう映っているのだろうか。ご期待に応えられているのだろうか、届いているだろうか、ということを、いつも心の中で反芻しながら通らせていただくことが大切だと思います。
ただし、私は基本的に教祖の思召に届いているということはないと考えています。それは年祭の元一日である明治20年陰暦正月二十六日のときもそうでした。先人たちは決死の覚悟でおつとめを勤め、これで教祖はお元気になってくださるに違いないと考えたと思いますが、お見せいただいたのは、教祖が現身をかくされるという想像もしない結果でした。
つまり、私たちがどれだけ思っても、どこまでも届いていない、ということを前提に思案することが、ひながたを辿る姿勢として大切だと思うのです。ですから、届いていないというのは、何がどう届いていないのかということを、教祖のひながたを頼りに、教祖ならどうお考えになって私たちをご覧くださっているのかと想像することも含めて、いろいろな視点で自分の届かなさを常に振り返ることが必要だと思っています。
どこで盛り上がりを感じるか
――教祖140年祭に向かって、これから全教を挙げて年祭活動を盛り上げていくことが求められると思います。具体的に、どんな姿が年祭活動の盛り上がりにつながるとお考えでしょうか。
中田表統領 私は、「盛り上がり」というものをどこで感じるのか、という点が大事だと思います。
過去には、親里での大きな普請を伴った年祭活動もありましたので、そこに集まる人々の力、それはおつくしであったり、ひのきしんであったり、伏せ込みであったり、おぢば帰りであったり、そういった人々の真実の力が目に見える形で表れていました。だから、おぢばに帰ってくれば、誰もがその盛り上がりを肌で感じることができたと思います。
ですが、今回の年祭活動に大きな普請はありませんので、そういった盛り上がりを感じられることはないでしょう。ですから、昔と今の親里の様子を比較して、盛り上がりが足りないと言っても仕方がないのです。盛り上がりを推し量る基準が違うからです。
では、どこに盛り上がりが感じられなければならないかというと、それは教会であってほしいと思います。私たちは教会に、あるいは教会の周辺に、年祭活動の盛り上がりが表れてくるように努めていくことが大切だと思います。そして、それが結果的に、おぢば帰りやおつくしやひのきしんの動きとして、おぢばに集約されてくる。土地所の、おぢばと息一つである教会を拠点にしたようぼくの皆さんの信仰実践の盛り上がりがおぢばに集約され、おのずと成ってくるのが、いまあるべきお道の盛り上がりの姿だと思います。
――視点を変えるのですね。
中田表統領 そうです。どういったことで、われわれが年祭活動の盛り上がりを感じて喜べるのか。その盛り上がりを全教へどう伝え、さらに盛り上げていくにはどうすればいいのかを、考えていかなければなりません。
――そのうえで道友社が担う役割も大きいと思います。
中田表統領 いま教内では、『天理時報』や『みちのとも』といった従来のメディアだけでなく、インターネットの利用も進んでいます。それらを活用して、教会やようぼくそれぞれが勇んでいる姿を発信し、意識の共有をしていく仕組みがあってもいいと思います。
いままでは同じ系統、同じ地域の教会の様子は見えるけれど、それ以外の教会のことは、なかなか分かりませんでした。ですが、インターネットを通じて全教の勇んだ姿を共有することで、お互いの喜びにつなげることもできるのではないでしょうか。その中から、いい意味での競争心が生まれ、お互いに勇ませ合うことができれば、さらに年祭活動が盛り上がっていく。こうした取り組みも、これから必要だと思います。
定めた目標を見直していく
――三年千日の年祭活動は、間もなく折り返し点に差し掛かろうとしています。今後の年祭活動における全教の歩み方について、お聞かせください。
中田表統領 このたびの年祭活動では、それぞれの教会が三年千日で目指す姿を設定して、その実現のご守護を頂戴できるように具体的な心を定めて、それを実践していこうと働きかけてきました。
こうしたなか、三年千日の1年目に当たる昨年は、とにかく、それぞれがいま自分たちにできることを考えて実行してくださったと思います。
1年目を通ってみて、どうだったでしょうか。なかには、もうすでに定めた目標達成が見えてきたという教会があるかもしれません。一方で、最初に考えた目標が高すぎて、やる気を失ってしまったとか、目標が抽象的すぎて具体的な行動に結びついていないなど、さまざまな反省点があると思います。
そこで1年目を振り返り、掲げた目標が適切だったかどうか、また、それがようぼくの皆さんに伝わり、動きになっているかを検証して、必要ならば見直して、教会の動きの盛り上がりにつなげてほしいと思います。
――目標を見直すうえで、大事なポイントは何でしょうか。
中田表統領 やはり目標設定は、このくらいならいけるだろうという安易なところよりも、自分に少し負荷をかけた目標のほうがよいと思います。
教祖年祭への三年千日は、ご守護を頂ける特別な旬です。ですが、ご守護を頂くためには、普段よりも負荷をかけた心定めをして頑張ることが求められます。普段では腰の上がらないような、しんどいことを求めて苦労して取り組むから、勇み心や元気が湧き上がってくるし、教祖もすぐにお受け取りくださるのだと思います。
「楽」と「楽しむ」は同じ漢字を使いますが、意味には違いがあります。楽々では、やはりそれなりの結果しか出ないものです。教祖のひながたがそうであったように、たすけ一条に、陽気ぐらしの道を広めるために、しんどいことを求めて楽しんで通る精神が、お道には大事だと思います。
仕切りの旬の折り返し点を前に、全教の教会長をはじめ、ようぼく一人ひとりが、いま一度これまでの歩みを振り返って、目標を軌道修正したり上方修正したりすることで、より前向きな気持ちになり、勇み心を高めて、年祭活動の後半に向かってくださることを念願します。