あまたの多彩な人たちと – 成人へのビジョン24
2024・5/1号を見る
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他者と深い関係を築くうえで有効とされることの一つに、「共通点を見つける」があります。たとえば、共通の趣味は互いの距離を一気に縮めてくれます。
反対に、離婚の原因で多いのが性格の不一致。言い換えると「価値観の相違」です。「あなたと私は違う」ということが、ときに決定的な亀裂を生みます。
三島由紀夫は『不道徳教育講座』の中で、下手に同じ趣味の者同士が話しだすと、些細な違いが決定的なものになる場面を愉快に描いています。ひと口に「音楽鑑賞」が趣味といっても、クラシック好きとロック好きでは反りが合いません。それどころか、場合によっては同じロック好き同士のほうが危うい。
ロックというフォーマット(形式)を共有しながらも、それぞれの嗜好に傾倒するあまり、些細なスタイルの違いを認められないのです。同属だからこそ価値観の違いが顕著に感じられる。それならば、かえって音楽に興味がない人と一緒にいるほうが平和的かもしれません。
昨年、私はある講話の冒頭に心を奪われました。「出会いは人の人生を大きく変えるものです。素晴らしい出会いによって幸せな人生を歩まれる方もいれば、悪い出会いが因でつまずく人もある。ここに集う私たちはどうでしょうか。私たちは有り難いことに、おやさまと出会わせていただいている」 ここにいるみんなはおやさまと出会っている。私たちは、共におやさまを慕う仲間なんだ。その場に居合わす見慣れた人々の姿に、私は新鮮な驚きと感動を覚えました。
ときに信仰者は、他者の信仰姿勢に厳しい眼差しを向けることがある。私はそう感じます。もちろん、教理の根幹に関わることであれば当然です。しかし、信仰の歩みやアクセント(強調点)は、それぞれでいいと思うのです。その濃淡や差異を指さすよりも、互いの信仰を重んじたい。銘々が銘々のおやさまを心に抱いている。私たちは共に、おやさまと出会った仲間なのです。
あまたの多彩な信仰者たちが伸び伸びと切磋琢磨していく。そんな輪の一員でありたいと、私は願っています。