昭和100年の軌跡 – 視点
2025・1/22号を見る
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今年は昭和元(1926)年から100年を数える。昭和は62年続いた日本史上最長の元号であり、いまの日本の総人口の7割、8千万人強が昭和生まれである。昭和とは、どんな時代だったのだろう。
大正15(1926)年12月25日、大正天皇が崩御された。同日に新天皇が即位され、昭和と改元。その7日後に昭和2年の正月を迎えている。つまり昭和元年は1週間で終わる。ちなみに昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御。元号が平成へと変わり、昭和最終年も1週間で終わっている。
昭和史を辿れば、昭和2年に金融恐慌があり、4年にはニューヨーク株式市場での大暴落をきっかけとする世界恐慌が吹き荒れた。国民生活は昭和恐慌と呼ばれる危機的な窮乏に陥っていく。
その後、軍部が台頭して16年に太平洋戦争が勃発。米国による2度の原爆投下が決め手となり、日本は無条件降伏を受け入れ、終戦を迎える。明治維新以来築いてきた日本の近代社会が、この戦争によって崩壊した。そして20年、日本は焼け野原から復興へ向かう。朝鮮戦争の戦争特需をきっかけとして、急速な経済成長が進み、高度成長期を迎えていく。
教史に目を転ずれば、昭和元年は教祖40年祭の年。それ以前、5年間にわたる年祭活動の柱は「倍加運動」と称された。大正9年の教会数は4,066カ所。それが大正15年には8,621カ所となる。教師(現在の教人)数も大正9年の22,378人から大正14年の42,592人へとほぼ倍増した。本教の教勢の相当な部分が、この時代に確立したと言っても過言ではないだろう。親神様のご守護を頂いたようぼくが、まさに我が身を忘れて布教に明け暮れた結果であった。
また、海外布教が本格化したのもこの時代である。大正13年に青年会長に就任された中山正善様は、翌年に天理外国語学校(現在の天理大学)を創設。初年度の入学者は104人、海外布教を夢見る同志の結集であった。同年、正善様は21歳で二代真柱に就任され、若き真柱を先頭に全教一丸となって国内から海外まで教えを広めていったのだ。
この後、日本は戦時体制が強まり、本教も原典の回収を始めとする過酷な国家弾圧を受ける。しかし、昭和20年の終戦で国家体制が変わるや否や、二代真柱様は教えの復元に取りかかられ、その精神はいまにつながっている。
昭和100年を振り返るとき、大きな夢と気概を持って困難を乗り越え成果を生み出した先人の軌跡に、心を響かされずにはいられない。
(安藤)