相手の目線に立つことから – 視点
2026・5/6号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
2025年開催された大阪・関西万博の跡地・夢洲では、日本初となる総合型リゾート(IR)・カジノ施設の開業が計画されている。それに伴い、ギャンブル依存症への懸念が高まっている。厚生労働省の調査によれば、国内でギャンブル依存症の疑いがある人は成人の約1.7%、およそ180万人に上るとされる。
筆者の教会でも、競輪場で食堂を営む部内布教所長のにをいがけから、これまで何人ものギャンブル依存症やアルコール依存症の方のおたすけに関わってきた。だが、その根本的な解決は難しく、簡単に更生してもらえるものではない。
おたすけの場では、相手をたすけたいと思うがあまり、知らずしらずのうちに、こちらの正当性を前面に出してしまうことがある。しかし、正しい言葉を届けようとすればするほど、かえって相手との距離を広げてしまうことも少なくないのではないか。
筆者の経験上、依存することがいけないと伝えるだけでは、おたすけにはつながらない。なぜ依存に陥ったのか、その背景にある苦しみや思いを理解し、信頼関係を築くことが何より大切だと思う。
そのうえで、自助グループや専門医療機関、そして教会が協力し合い、一つのチームとして当事者と関わることが望ましい。
教内では、これまで布教部所管の「ひのきしんスクール」や教内関係者が運営する自助グループ「依存症たすけあいの会」が大きな役割を果たしてきた。今年度新たにスタートする「おたすけに役立つ勉強会」も、さらなる実践を後押しする場となることが期待される。
教祖は「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』4「一粒万倍にして返す」)と仰せられた。
難儀の中にいる人が求めているのは、必ずしも解決策だけではない。「この苦しみを分かろうとしてくれる人がいる」という安心と信頼があってこそ、頑なな心の扉は開かれる。自らの正しさを示す前に、相手の目線に立ち、寄り添い、最後まで話を聞く。そこから、本当のおたすけが始まるのではないだろうか。
(村田幸)










