人が夫婦となる信仰的な意義 – 視点
2026・5/27号を見る
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厚生労働省は2月26日、2025年の出生数(速報値)を発表した。10年連続で減少しており、急激な少子化に歯止めが掛からない危機的な状況にあるという。
その要因の一つとして、晩婚化や非婚化が挙げられる。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、2020年における50歳時の未婚割合は、男性が28.25パーセント、女性が17.8%となっていて、2000年の数値と比較すると、男性で12.57%から15.68%増、女性が5.82%で11.99%増となっている。
また、同研究所が25歳から34歳までの未婚者に独身でいる理由を尋ねたところ、男女ともに「適当な相手にまだめぐり会わないから」が最も多く、次いで「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」「結婚する必要性をまだ感じないから」という理由が多かったという。
女性の社会進出が進む中で、仕事と家事の両立や育児の負担、経済的不安が婚姻に大きな影響を及ぼしているとみられる。さらに、「結婚してはじめて一人前」「結婚するのが当たり前」といった社会的圧力が弱まったことで、結婚に対する自由度が高まったことも要因の一つである。
確かに、婚姻の選択は個人の自由である。また、結婚生活には価値観や生活習慣の違い、家事や育児の負担、配偶者の親族との人間関係など、さまざまなストレスが伴うため、結婚に対して前向きになれない若者が増えるのも不思議ではない。
しかし、教祖が「この道は、夫婦の心が台や」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』189「夫婦の心」)と仰せられるように、人が夫婦となることには、信仰的な意義があるように思われる。
夫婦関係は育んでいくものであり、家庭は築いていくものである。そのため、そこに難しさを感じる人もいるかもしれない。しかし、二人の心を治め、互いに立て合い、たすけ合って歩んでいくところにこそ、親神様が望まれる陽気ぐらしの可能性が生まれるのである。
結婚に前向きになれない若者たちに、「なるほど」と思わせるような姿を映していくこと、これもまた、私たちようぼくの務めなのかもしれない。
(清水)








