雨上がりのひと時に その時々に頂く「必要な力」 – 逸話の季
2026・7/15号を見る
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梅雨時です。朝になっても薄暗い空を眺めていると、どうしても気持ちが落ち込みがちです。そのうえ、先日、急に顔面神経麻痺になり、塞がったままの瞼や動かない唇を鏡で見ては、ため息の出る日が続いています。
すでに60の坂を乗り越えましたが、これまでの自分の人生を振り返って、決して後悔はありません。とはいえ、生きることの意味について、あらためて深く考えさせられている今日このごろです。
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明治5年の夏、松尾家に御滞在中の教祖は「今日は、麻と絹と木綿の話をしよう」と仰せになり、麻と絹の良し悪しを説いたうえで「そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。よごれたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで」と、お仕込みくだされました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「二六 麻と絹と木綿の話」
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麻は夏には涼しいですが、冬には着られないし、すぐに色あせます。また、絹は上品で良いけれども、新しい間にしか価値がありません。そこで教祖は、「ありきたり」ではありながら、どんな場面でもどんな用途にも使えて、形がなくなるところまで使える木綿のような心の人が、神の望みであると仰せられました。
とはいえ、このお言葉をもとに自分の人生を省みるとき、たとえ目立つことはなくても誰からも必要とされ、働きを求められるような生き方を送ってきたと言えるでしょうか。
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定年・退職を迎える年齢にはなりましたが、人生の定年は、まだもう少し先です。残りの人生を「形がのうなるところまで」使っていただけるように、現在とこれからの自分にできることを見極めながら、もう少し頑張りたいものです。やはり教祖のお言葉からは、いつもその時々に必要な力を頂けるような気がします。
文=岡田正彦








