「ハルのゆく道」その先の栄光 ―― チームを日本一に導いた天理育ちの主将
2023・6/7号を見る
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天理大学ラグビー部OB 立川理道選手
ラグビーの日本一を決める「ジャパンラグビーリーグワン」プレーオフトーナメント決勝が5月20日、東京・国立競技場で行われた。勝者はクボタスピアーズ船橋・東京ベイ。低迷期からチームを率いて初の頂点に立ち、今季のリーグMVPに選ばれたのは、“天理ラグビーの申し子”こと立川理道キャプテン(33歳・但八分教会みちのり布教所ようぼく)。ハル(愛称)にとっての一つのキャリアハイを迎えたラグビー人生に迫る。
決勝前日の記者会見で、「ここで勝つために準備をしてきた。OBをはじめ、これまで悔しい思いをしてきた方々の思いをもってプレーしたい」と語った立川選手。
チームは試合後半に逆転トライを決められ、3点差を追う。後半29分、相手ゴール前の陣地でパスを受けた立川選手が、瞬時に選んだ一手が勝利を呼び込んだ。
すぐさま右足で左前方へ蹴ったボールは、タッチライン際を走るWTB木田晴斗選手のもとへ。そのままインゴールに飛び込み、逆転トライ。これが決勝点となり、チームは初優勝を果たした。
歓喜に包まれるオレンジのジャージー軍団。キャプテンとして7年間チームを牽引してきた立川選手は三度、宙を舞った。
天理ラグビーで育つ
ラグビーが盛んな天理で、4人兄弟の末っ子として育った。3人の兄が地元チーム「やまのべラグビー教室」へ通うなか、自身も4歳で楕円球に触れた。
同世代のチームメートには、その後、高校、大学、プロで活躍する選手が数人いた。なかでも井上大介選手(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ所属)とは、四半世紀を超えて同じチームでプレーする仲間。このころから「パスは並ではなかった」と井上選手は振り返る。
天理中学校では2年時からレギュラー。天理高校で伝統の純白ジャージーに袖を通し、3年連続「全国高校ラグビー大会」に出場。3年時には、キャプテンとしてチームを全国8強に導いた。
天理大学在学中は大けがも経験した。2年時のリーグ第3戦で右膝前十字靭帯を断裂。術後は一人でトイレに行くのも難しく、子供のころ親に何度も言われた「健康感謝」という言葉が頭に浮かんだ。その意味を心から理解し、翌夏の復帰に向けてリハビリに励んだ。
全寮制へとチーム改革を進めていた小松節夫監督のもと、4年時にはキャプテンとして全国大学選手権大会に出場。決勝では3連覇を狙う王者・帝京大学を、あと一歩のところまで追い詰める死闘を演じた。
新しい歴史をつくる
2012年、クボタスピアーズ(当時)入団。このころ同チームはトップリーグの下部に当たるトップイーストにいた。強豪チームから声がかかったが、「クボタは熱心にラグビーを応援してくれる会社。その仲間たちの後押しを受けながらチームを強くし、新しい歴史をつくることに大きな魅力を感じた」という。
入団直前には日本代表入りの知らせが届き、以後”三足のわらじ”を履いた。
日本代表として同年4月の「アジア5カ国対抗」のカザフスタン戦に途中出場し、初キャップ(国の代表として国際試合に出場した回数)を獲得。
スピアーズも翌13年シーズンからトップリーグ復帰。その年の8月、立川選手は日本最高峰リーグのピッチに初めて立った。
さらに躍進は続く。15年にイングランドで開催された「ラグビーワールドカップ」に日本代表として出場。当時、世界ランキング3位の優勝候補の一角、南アフリカとの一戦に先発出場。決勝トライを演出するロングパスで、日本の”歴史的勝利”に貢献した。
また、国際リーグ戦スーパーラグビーの日本チーム「サンウルブズ」でも、共同キャプテンとしてリーダーシップを発揮した。
感謝と恩返しの日本一
翌16年、世界最高峰のスーパーラグビーで、南アフリカのクラブチーム「ブルズ」を2度の優勝に導いた名将フラン・ルディケ氏が、クボタのヘッドコーチに就任する。
ルディケ氏は「ハルはスマートなラグビー選手であるとともに、フィールド内外で、ほかの選手の模範となる存在」と高く評価し、キャプテンに指名した。
立川選手も「クボタの文化に新しい文化をプラスし、チームを進化させたい。そのためにも、選手全員のマインドセットを変えていく。小さな積み重ねを続けて、最後に必ず結果を出したい」と誓った。
こうして「クボタウェイ」のビジョンを掲げ、チーム改革に着手。フィールド外でも会社の代表“クボタマン”として、プライドある行動を心がけ、地域社会に根差す活動を展開した。
二人はルーツや年齢、実績に関係なく、どんな人も受け入れる「ファミリー」のような雰囲気づくりに注力。率直に意見をぶつけ合い、チーム力を高めていった。
戦術の浸透、メンバーの強化、熱烈なサポーターの声援を受け、昨季はリーグ3位の好成績を収めた。初優勝が狙える態勢が整ったスピアーズは、今季14勝1分1敗のリーグ2位でプレーオフトーナメントへ。初戦を24-18で勝利し、初めて決勝に進出した。
9-3とリードして前半を折り返したものの、後半に連続トライを奪われ逆転。両者一歩も引かない激しい攻防のなか、敵陣ゴール前でボールを受けた立川選手のキックパスが逆転トライにつながった。
初優勝の立役者となった立川選手は、真っ先にレフェリー、アシスタントレフェリーのもとへ走り、「いつものように」あいさつ。試合後の会見で、その振る舞いについて尋ねられ、「ラグビーって、そういうものだと思ってやってきた」と淡々と語った。
◇
試合を現地観戦した父・理さん(68歳・同布教所長)は「長男・教道の優しさ、次男・誠道の判断力、三男・直道の精神力、そのすべてを学んで努力し続けた四男・理道。天理ラグビーでお育ていただいた息子たちの道が、ここに結実したと思った」と話す。
テレビ観戦していた小松監督は「対戦相手やレフェリーを尊重する彼の立ち居振る舞いを見て、11年前の大学選手権決勝を思い出した。大学・社会人チームで成長を遂げ、皆が認めるリーダーになったと思う。両親や兄弟、育ったおぢばの環境すべてが、彼の成長につながっている」と目を細める。
この試合のプレーヤー・オブ・ザ・マッチと今季リーグワンのMVPに選ばれた立川選手は「勝ったときに浮かんできたのは、いろんな人への感謝だった。会社はトップイースト(下部リーグ)時代から手厚いサポートをしてくれたし、選手も少しでも順位を上げようとやってきた。その思いを背負って優勝できたので、恩返しができたと思う」と、はにかむような笑顔を見せた。
プロフィール
身長180センチ体重93キロ。ポジションはセンター・スタンドオフ。1989年、天理市生まれ。但八分教会みちのり布教所ようぼく。4歳からラグビーを始め、天理中・高・大学でプレー。卒業後は現「クボタスピアーズ船橋・東京ベイ」所属。日本代表キャップ56。相手防御ラインに接近し、走り込む味方に平行にパスして防御ラインを突破する「フラットパス」を得意とする。
特別寄稿
ノーサイドの瞬間ハルは…
村上晃一氏(ラグビージャーナリスト)
立川理道がようやく日本一にたどり着いた。彼の成長物語『ハルのゆく道』(道友社刊)を上梓した身として感慨深かった。
クボタスピアーズ船橋・東京ベイのキャプテンとして7シーズン、立川はリーダーとはどうあるべきかを考え続けた。「ここ数年、いいリーダーシップがとれるようになってきました」
決勝戦の相手は無敵の王者・埼玉ワイルドナイツだった。2点リードで迎えた残り10分、立川は的確な指示で仲間を落ち着かせた。「無理をして攻めるな。プラン通りやろう」。ノーサイドの瞬間、多くの選手が喜びを爆発させるなか、立川は淡々とした表情で相手選手、レフリーと握手をかわし、敬意を表した。
その姿を見て、彼の天理大学時代の記憶が蘇った。11年前の大学選手権決勝で帝京大学に惜敗した直後のことだ。あの時も立川キャプテンは、すぐにレフリーと握手していた。「相手チーム、レフリーがいるからラグビーができるのです」。幼少期から天理ラグビーの中で培ってきた姿勢は一貫している。ラグビー憲章の五つの言葉「品位、情熱、結束、規律、尊重」を、これほど見事に体現する現役選手を他に知らない。
やまのべラグビー教室に通い始めた4歳のころから同じチームでプレーしてきた井上大介は引退を表明。声をからして応援していた。立川は30年近く同じ夢を追った友人を、最高の結果で送り出したのである。
決勝戦の2日後、リーグワンのMVPが発表された。当然のように立川だった。ところが本人は「当日知らされて、びっくりしました」という。誰が受賞すると思っていたのか尋ねてみた。「MVPの表彰があることを忘れていたんですよ(笑)」
日本を代表する選手でありながら、いつも一生懸命で、人に優しく、少しとぼけたところもある。他チームのファンからも愛される理由だろう。あくなきタックル、正確なパス、キック、力強いランは円熟味を増している。次はどんな景色を見せてくれるのか、”ハルのゆく道”の先が楽しみでならない。