聴覚障害者の“生の声”原動力に 手話通訳者 森川美惠子さん – ようぼく百花
2023・6/7号を見る
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聴覚障害者のコミュニケーション手段である手話を用いて、聴覚障害者と聴こえる人とのコミュニケーションを可能にする「手話通訳者」。愛媛県庁の会見や、県内のテレビ番組などで手話通訳者として活躍している森川美惠子さん(66歳・郡中分教会ようぼく・愛媛県伊予市)は、自ら立ち上げた手話サークル「伊予ハンズ」の代表を務めている。
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「聴こえない人は、さまざまな困難や悔しさ、怒りを抱えている」
森川さんが手話と出合ったのは、親里の保育士育成「白梅寮」に入って間もないころ。寮内で行われた手話の授業で初めて簡単な手話を教わり、「手で話ができるんだ」と感激した。
ところが、家庭の事情から、ほどなく寮を辞退せざるを得ない状況になった。
地元に戻った森川さんは20歳のとき結婚。当時、アルバイトをしていた喫茶店で聴覚障害のある男性と出会い、手話と“再会”した。その後、男性の紹介を受け、地域の手話サークルに参加するようになった。
手話サークルでは、聴覚障害者から手話の手ほどきを直接受け、週1回、精力的に活動。縁あって、建築関係の会社に手話通訳者として入社することになった。
その会社では、森川さん以外の7人の社員全員に聴覚障害があった。職場では日常的に手話で会話し、実地に経験を積むうちに、森川さんの手話技術はみるみる上達していった。
また、同僚のプライベートの悩みなどに耳を傾ける機会も少なくなかった。さまざまな話を聞く中で、聴覚障害のある人々の胸の内を知る。
それは、日ごろの生活の中での生きづらさはもとより、災害発生などの緊急時に健常者より避難が遅れてしまうかもしれないといった、不安や悩み、苦しみだった。
知識と技術を地域に還元
森川さんにとって、手話を通じての活動の原動力は、障害のある人たちの“生の声”を聴いたことにあるという。
出産を機に建築会社を退職したものの、以後も聴覚障害者の病院への同行など、手話通訳のボランティアを続けた。
さらに、聴覚障害者の就職支援や、聴覚障害者団体の職員、社会福祉関係の団体で手話通訳者として勤めるなど、45年にわたり、聴覚障害者の支援に携わってきた。
こうしたなか、「これまで培ってきた手話の知識と技術を地域へ還元したい」との思いから、5年前に手話サークル「伊予ハンズ」を立ち上げた。
手話の勉強会を開くなど、地道に活動を続けるなか、現在は小学生から80代までの30人が在籍するまでに。月2回、2時間の活動を通じて、会員同士が互いに学び合っている。
また、県庁の会見の際に登壇者の隣で通訳を担当するほか、県内のテレビ番組に手話通訳者として出演。このほか「防災士」の資格も取得し、聴覚障害者の手話通訳を長年務めた経験をもとに、講演活動などにも力を入れている。
理解広げる“語り部”に
手話通訳を長年続けてきた森川さんだが、「『目の前にいる人と一緒に笑いたい』という気持ちだけで、自分にできることをやってきた。聴こえない方の『支援をしている』という気持ちはない」ときっぱり。「どちらかというと、手話通訳を通じて、私がたすけていただいたことばかり」と振り返る。
「聴覚障害のある方は、障害のことを理解してもらえないことに困っている。また、聴覚障害について広く知られていない現状から、誤解されることも少なくない。人が差別をしたり、つらく当たったりするのは理解が足りないから。当事者の方が暮らしやすくなるために、多くの人たちに聴覚障害や手話のことを広く知ってもらう“語り部”として、今後もお与えいただく仕事に力を入れていきたい。そして『聴覚障害のある方には、こう接したらいいんだよね』と誰もが言えるような社会を目指したい」
(文=西尾はるか)