【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
どんな事も心に掛けずして、優しい心神の望み。
「おさしづ」明治34年3月7日
ササユリ
品格という言葉が流行るのは、世の中にそれが乏しくなってきたからでしょうか。前に落語家で人間国宝の桂米朝さんにお話を伺ったときに、「落語では噺の内容が下品でも、喋るこちらの姿勢まで下品ではしょうがない」と仰った真顔が印象的でした。これという定義があるわけではありませんが、感情の反応が早いのも品が下がるようで、ほこりも立ちやすくなります。
そういえば、教祖の印象深いご態度が思い浮かびます。明治7年の大和神社のふしの際、神職たちがやって来て問答を仕かけてきたのに対して、「教祖は、親しく会うと仰せられ、衣服を改めた上、直々お会いなされ」と『稿本天理教教祖伝』に記されています。窮状の場面、乗り込んできた無礼千万な輩に対してすら衣服を改めてお会いになっています。明治17年3月の御苦労の折にも「にこにことして巡査に伴われて」との記述があります。
明治16年、山田伊八郎と妻こいそは長女いくゑを連れて誕生満1年のお礼詣りにお屋敷へ帰らせていただきました。そのとき、教祖は「倉橋のいとでも来てくれたらと思うていましたが、ちょうど思う通り来て下されて」と仰せられます。同『逸話篇』には「大人だけでなく、いつ、どこの子供にでも、このように丁寧に仰せになったのである」とあります。「来て下された」と仰せられる倉橋村のいととは、満1歳のいくゑのことです。品格や礼節というよりも、何時いかなる時も分け隔てのない、薫り高く、あたたかいご態度です。大事なことは皆、ひながたの中にあるのです。
(橋本)