秋の陽に包まれて 日常の小さなひとコマにまで – 逸話の季
2023・11/29号を見る
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11月半ばだというのに、今日は朝から雪が降り続いています。つい先日まで暖かい日が続いていたのに、まるで秋を飛び越して、夏の後にすぐ冬が来たかのようです。
白い雪に埋め尽くされた庭の風景の中で、まだ落ちていない柿の実の鮮やかな橙色が際立っています。例年とは違う気象の変化は、どちらかと言えば否定的に捉えられがちですが、そのおかげで見ることができる景色もあります。
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ある秋の柿の旬に、桝井おさめが、教祖の御前に出させていただくと、柿が盆に載って御前に出ていました。教祖は柿をお取りになるのに、方々からいろいろに眺められました。その様子を、おさめは「教祖も、柿をお取りになるのに、矢張りお選びになるのやなあ」と思って見ていましたが、教祖がお取りになったのは、一番悪いと思われる柿でした。おさめは「ほんに成る程。教祖もお選びになるが、教祖のお選びになるのは、我々人間どもの選ぶのとは違って、一番悪いのをお選りになる。これが教祖の親心や。子供にはうまそうなのを後に残して、これを食べさしてやりたい、という、これが本当に教祖の親心や」と感じ入りました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一六〇 柿選び」
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このとき教祖は、なぜ「一番悪い」柿をお選びになったのでしょう。少なくとも、この逸話を読む限り、桝井おさめの感想は当人の個人的な見解です。しかし教祖は、自分の柿をお取りになった後、残りの柿を載せた盆をおさめの方へ押しやって「さあ、おまはんも一つお上がり」と仰せになりました。そのご様子が、いつも自分のことは考えずに人をたすける教祖の日常のお姿と重なったとき、おさめは「我々人間ども」とは違う、教祖の深い親心を感じることができたのです。
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人が他者と共に幸せに暮らしていくために、互いに周囲を思いやる心が大切なことは誰でも分かっています。しかし、日常の小さなひとコマにまで、その思いを貫くのは容易ではありません。盆に載せた柿を選ぶという、何げない行いにも溢れている教祖の親心にふれることで、周囲の人々の教祖への思慕の念は、より深まっていったのではないでしょうか。
■文=岡田正彦
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