道の足元を温かく支える台となり教祖140年祭へ心勇んで通ろう – 婦人会第106回総会 真柱様メッセージ(要旨)
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婦人会総会は、会員がおぢばに集って、お互い天理教婦人会の会員であるという自覚を新たにする、年に一度の重要な機会である。ついては、いま道全体が教祖140年祭に向かって年祭活動に取り組むこの時旬に、婦人会もまた会員一人ひとりが、常にたすけ一条の親心で私たちを導き育ててくださる教祖にお喜びいただけるように、成人の足取りを進めてもらいたいと思う。
天理教婦人会は、世界一れつたすけたいと思召す親神様の御心のままに、ひながたの道を付けられた教祖の教えを求め、身に行おうと努力を重ねる婦人たちの会合である。
そこで総会に当たり、道の婦人のあり方をあらためて考えるとき、まず頭に浮かぶことは、親神様が人間をお造りになった人間元初まりの順序である。
男も女も同じ一つの目的に向かって
遥か遠い昔、泥海であったこの世の中を味気なく思われた親神様は、人間なるものを造って、その人間が互いにたすけ合って陽気に暮らすさまを見て、共に楽しみたいと思召された。そこでまず、たくさんのどぢよの中から、うをとみを見いだされて貰い受けられ、これを夫婦の雛型となされた。続いて、しやちとかめを引き寄せて貰い受け、それぞれをうをとみに仕込んで男と女の雛型を定められた。そして男の雛型、種の理には、いざなぎのみこと、女の雛型、苗代の理には、いざなみのみことの神名を授けられた。そして、月様がいざなぎのみことの体内に、日様がいざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教えられた。こうした親神様の御心づくしのおかげによって、私たち人間は生まれ出るに至ったのである。
つまり、親神様は人間を生み出すに当たって、最初から男と女を分けられて、男性には男性としての働きを、女性には女性としての働きを教えられたのである。ここに私たちは、男も女も同じ一つの目的に向かって、男女それぞれが、それぞれの役目を果たして立ち働いて、そして一つのものを築き上げるということが、元なる親のお望みであることを教えていただくのである。
また、教祖は「おふでさき」に、
このたびハたにそこにてハ一寸したる 木いがたあふりみゑてあるなり
七号16
このきいもたん/\月日でいりして つくりあけたらくにのはしらや
同17
にち/\に月日をもわくふかくある をなじところに二ほん三ぼん
同20
この木いもめまつをまつわゆハんでな いかなる木いも月日をもわく
同21
と、お述べくだされている。
親神様は、陽気ぐらしの世の中を造り上げるため、男と女の隔てなく一人ひとりの心を見定められ、ようぼくとしてそれぞれの用向きにお使いくださるのである。
心を尽くしきるひながたを手本に
ところで、皆さんは産み育ての徳分を頂く女性である。教祖は、すべての人間の母親であるいざなみのみことの魂をお持ちのお方様であり、親神様の思召の実現に向かって、私たちを導き、育て続けてくださるのである。
『稿本天理教教祖伝』をひもとくと、教祖は誰からも相手にされないところから、ひながたの道を歩みだされ、あるときは「お月様が、こんなに明るくお照らし下されている」と、月の光を頼りに糸を紡がれ、またあるときは「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と諭されて、どんな状況の中も必ず親神様のご守護があることを説き聞かされた。
また、実のお子様であろうが、親神様の思召とは違う行いには、「そんな事すれば、親神は退く」と、毅然としたお態度で妥協を許さず、厳しくこれを止められた。
こうした道の行く末が曲がったり、間違うことのないようにと、心を尽くしきられるひながたには、この道を受け継ぎ、受け渡す私たちが、わが子や教会につながる人たちを、責任を持って丹精してゆくうえに、忘れてはならない手本と悟らせていただくのである。
私たちの目標は陽気ぐらしである。その陽気ぐらしの道の道中には、多かれ少なかれ、人に笑われたり、苦労や不自由を経験することもあるだろう。
けれども、それら困難を、幸せへとお導きくださる親神様からの課題であると信じて、どんな中もひながたを思って辛抱強く通っていけば、何があっても喜べる境地を味わうことができると教えていただく。そして、そうした心の向きの人と人とが寄り集まって築き上げていくのが、親神様がお望みになる世界であると思う。
天理教婦人会の成人目標は、ひながたをたどって陽気ぐらしの台となることである。知っての通り、台は暮らしに便利な踏み台や建物の土台など、上にあるものを支えるためのものである。そして、その台がしっかりしていれば、上にあるものは安定するし、軟弱ならば、ぐらつきやすいことを思うと、台というものの役割は目に見えないところが多く目立たないけれど大変大きい。
女性は、親神様からぬくみ、万つなぎの役目を頂戴し、さらに苗代のご守護の理によって、産み育ての徳分を頂いている。温かい心で家庭を治め、人と人の間を取り持ち、家族、そして教会に出入りする人たちを元気づけて成長を見守りながら共に道を歩んで次の世代を育ててゆく。そうしたきめの細かい長期にわたる丹精は、道の台たる婦人だからこそ、できやすいことではないかと思うのである。
陽気ぐらしへのひながたの道を示された教祖は、終始一貫して親神様の御心のままの姿勢でお通りくだされた。これに倣って、私たちも親神様の思召に適う心のあり方を求めて、それを邪魔する物事や考え方にこだわる心を取り払う努力を重ね、素直に教えの実践を心がけて送る日々は、おのずとひながたをたどる道につながって、周りの人々の陽気ぐらしを支えるだろう。ここに道の台たる所以があり、この道の底力となるのである。
老いも若きも打ち解けて話し合う
親神様は「ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい」(おさしづ明治22年11月7日)と仰せられて、ひながたは実行するもので、知っていても何もせずにそのまましまい込んでおくものではないと、お諭しくださる。
ところが、現在を生きる私たちには、ひながた通りの考え方と時代の流れから来る世間一般の考え方や自分の思い込みによる考えとの狭間で、心が揺れ動くときがないとは言えない。それでも親神様は、そういうときの心の処し方をも、教祖のひながたの中にお示しくだされた。明治20年1月13日、お身体にしるしを見せてまでおつとめの実行を急き込まれる教祖は、世間の事情が許さないと悩み抜かれる初代真柱様に対して、「月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」(おさしづ明治20年1月13日)と、嚙んで含めるようにお諭しになり、この道を進む私たち信仰者の考え方の順序をお教えくださっている。
ひながたをたどるについても同じで、親神様がひながたの道を通れとおっしゃるのなら、できてもできなくても、とにかく通ると心に決めることが一番先にすることである。
さまざまなことが起こる日常なればこそ、その中をたんのうの心を定めて、教えられていることを何からでも実践することが大切である。結果はすぐに見えるものではないけれど、そうした日々を積み重ねることにより、いつしか心が澄んで陽気ぐらしを味わえるご守護を頂けるのではないかと思う。
教祖は、
にち/\にすむしわかりしむねのうち せゑぢんしたいみへてくるぞや
六号15
このみちがたしかみへたる事ならば このさきたしかたのしゆでいよ
同16
と仰せられて、どんな道中も心を倒さず、ひながたを頼りに生きてゆくことをお促しくださっている。婦人会は青年会と違って、会員の年齢の幅が広いのであるから、この特性を活動に生かして、お互いの成人に役立ててもらいたい。
親神様が人間元初まりにお与えになった女性の役割をよく考えて、老いも若きも会員同士が互いを立て合って、人の話によく耳を傾けて、打ち解けて話し合い、それをにをいがけやおたすけ、そして人を育てる肥やしにして、婦人会の活動を展開してほしい。
そして、ひながたをたどる皆さんの活動が、この道の足元を温かくしっかり支える台となるよう、教祖140年祭への三年千日の道を心勇んで通りきっていただきたい。