銀座と王朝 – 世相の奥
2024・1/17号を見る
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平安時代の公家、貴族と聞いて、多くの人はどういう人柄を想いうかべるだろうか。たぶん、歌や踊りに熱中する男たちの姿が、脳裏をよぎるだろう。あるいは、色恋沙汰にあけくれるプレイボーイのことなどが。
こういうイメージは、平安王朝の女流文芸に由来する。とりわけ、紫式部のえがいた『源氏物語』は、決定的であった。周知のように、主人公の光源氏は多くの女たちと逢瀬をかさねている。そして、そんな男をクローズアップさせた物語が、日本では古典として読まれつづけてきた。国民的な平安貴族像が、そちらの方向でかたまってしまったゆえんである。
しかし、じっさいの公家は、もう少し雄々しい。蹴鞠以外のスポーツをたしなむこともある。弓矢のトレーニングにいそしむ者も、けっこういた。
なにより、彼らはずいぶんはたらいている。舞や恋愛に、終日うつつをぬかしていたわけではない。朝から王宮へ出仕し、えんえんと会議をつづけていた。書類づくりにも、精をだしている。政敵とのかけひきでも、神経をすりへらしていた。
現代の価値観でふりかえれば、どうでもいい仕事だったかもしれない。じっさい、宮廷儀礼をどうとりおこなうかについての議論などは、ばかばかしく思える。しかし、当時の宮廷人にとっては、それが大事な執務だったのである。今の霞が関でとりおこなわれる事務作業と同じように。
いずれにせよ、彼らは勤勉である。実務にたけた者は、評価もされた。だが、王朝の女房たちは、彼らのはたらく姿を見ていない。彼女らの目にはいったのは、仕事をおえた男たちである。執務から開放され、女房のサロンへあそびにくるところしか、目撃していない。
紫式部らは、そういう男たちの振舞いを書きとめた。いくらかは、美化もして。それは、言ってみれば、銀座あたりのホステスさんがえがく男性語りのようなものである。平安女流文芸は、今のホステス小説ともつうじあう。
令和6年度の大河ドラマは、紫式部をヒロインにするらしい。私は公家像をぬりかえてほしいと思うが、どうだろう。たぶん、私のねがいはみのるまい。NHKは、あいかわらず色恋と歌舞の貴族像を反復しそうな気がする。この予想は、はずれればいいのにな。
井上章一・国際日本文化研究センター所長