地震から3カ月 要請に応え きめ細かな対応で寄り添い「令和6年能登半島地震」- リポート 災救隊第21次隊
2024・4/17号を見る
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“あの日”から3カ月余りが経過した。季節は移り変わり、能登地方でもサクラが次々と開花、春の訪れを告げている。
その一方で、市街地には倒壊した住宅や押しつぶされた車などが手つかずの状態で残る。インフラの復旧が遅れていることもあり、いまなお生活再建のめどは立っていない。
さらに、宿泊施設が休業を余儀なくされていることから、ボランティアの受け入れは進んでいない。その間も各自治体には、一般ボランティアには対応が難しい復旧作業の依頼が多く寄せられているという。
4月4日午後、第20次隊から新たな宿営地となった日本航空高校石川(輪島市)の校舎内に、本部隊をはじめ埼玉教区隊(坂口祥彦隊長)、長野教区隊(大北元慶隊長)から成る第21次隊の隊員が集合した。「天理教 ひのきしん隊」と染め抜かれた災救隊の隊旗が掲げられた教室で、結隊式が行われた。
続いて、本部隊と教区隊代表者による会議が持たれた。出動現場の情報を入念にチェックしながら、必要な機材や作業工程を確認する。
能美義郎・災救隊副本部長は、「出動前に可能な限り現場を下見し、どのような作業になるのか、どんな機材が必要かを判断する。住民からの依頼を詳細に把握して作業の効率化を図るとともに、困難な要望にも迅速に対応し、一人でも多くの被災者に喜んでもらうことを目指している」と話す。
ブロック塀の解体撤去を中心に
5日午前7時45分、埼玉教区隊の隊員たちは、作業に必要な機材を車に積み込んだのち、輪島市へ出動した。
市内の中心部は、大規模火災に見舞われた観光名所「朝市通り」や、倒壊した7階建てのビルなど、最大震度7の強い揺れによる“爪痕”が生々しい。全・半壊、一部損壊などの住宅被害は1万5千棟に上り、現在も復旧作業がほとんど進んでいない。
現場に到着した隊員たちは、地震によって倒壊したブロック塀の解体・撤去作業に取りかかる。
作業現場の一つ、創業50年の旅館は現在も休業中だ。駐車場には敷地を囲うブロック塀が倒れ込んでいた。
隊員たちは、ハンマードリルや大ハンマーを駆使し、一般ボランティアが手で持ち運べる大きさにブロックを解体。また、塀の内部の鉄筋はディスクグラインダーで小さく切断し、集積していく。
作業中、ブルーシートや木の板を旅館建物の壁に掛け、コンクリートの破片が飛んでも傷がつかないように配慮する。さらに道路に散った粉塵を、ほうきで丁寧に掃き取るなど、きめ細かな作業を心がけた。
旅館の大女将の80代女性は「私も夫も腰が悪く、重い物は運べない。若女将家族は金沢市へ避難しているので、ブロック塀の処理に困り果てていた。そんななか、災救隊の皆さんが、私どもの要望に真摯に耳を傾けながら、手際よく片づけてくださり、本当に助かった」と述べた。
埼玉教区隊の隊員は、6、7の両日も引き続き輪島市内へ。市社会福祉協議会(=社協)に寄せられる要請に応え、ブロック塀の解体・撤去作業を引き受けた。
輪島市社協地域福祉課課長補佐で、ボランティアへの作業の振り分けを担当する大森美幸さんは、「震災から3カ月が経ち、技術と知識を要するブロック塀撤去の依頼が多く寄せられるなか、災救隊の皆さんが迅速に作業を進めつつ、被災者の細かい要望にも嫌な顔一つせず対応してくださり、心から感謝している。災救隊の皆さんの言葉づかいがとても丁寧で、被災者の心に寄り添った活動をしてくださるので、社協としても全幅の信頼を置いている。まだまだ作業要請が増え続けているので、復興に向けて今後ともぜひ力を貸していただければ」と期待を寄せた。
被災状況に合わせた活動を心がけ
一方の長野教区隊は、珠洲市の災害ボランティアセンターが「一般のボランティアには対応が難しい」と判断した被災現場へ出動。ブロック塀の解体・撤去に当たった。
断水の解消が難航している同市では、現在もさまざまな機関によって懸命の復旧支援が続けられている。
6日、隊員たちは市内の被災民家へ。家主の70代男性によると、地震当日の強い揺れによって妻が転倒して尾骨を骨折。現在は金沢市へ避難しているという。「揺れが収まった後、様子を確認しに外へ出ると、車庫と隣の家が倒壊していた。まさかの出来事に目を疑った」と当時の状況を振り返る。
隊員たちは、家主の男性の要望を聞き取りながら庭に倒れたブロック塀の撤去作業に着手。鉄筋の位置を事前に把握しつつ、ハンマードリルなどで手際よく解体した。解体後のブロックは大きさごとに分け、細かい欠片は土嚢にまとめて1カ所に積み上げた。
また、ブロック塀を撤去した付近の土をざるでこし、コンクリートの欠片を取り除くなど細かい作業に努めた。
大北隊長(51歳・髙井分教会長・長野市)は「被災者の方々に、少しでも心を強く持ってもらえるように、私たちの一挙一動によって“相手の心に明かりを灯す気持ち”で復旧活動に取り組むことを申し合わせている」と語る。
家主の男性は「重いブロックを動かすことができず途方に暮れていた。災救隊の皆さんは、ブロック塀の片づけのみならず、震災発生時の話を親身に聞いてくださった。おかげで避難生活で疲弊していた心が少し楽になった。感謝してもしきれない」と、深々と頭を下げた。
翌日も引き続き、珠洲市内の被災民家でブロック塀の解体・撤去を担った。
珠洲市災害ボランティアセンターのスタッフを務める南亮さんは「一般ボランティアには対応が難しい現場で作業してくださり、心強い限り。その活躍ぶりは、センター内でも話題になっている。災救隊は、震災発生当初から珠洲市内に入って炊き出しを続け、いまはブロック塀の解体に当たるなど、被災状況に合わせた活動を心がけてくださっている。こちらとしても安心して作業をお願いすることができる。これからも復旧活動を通じて、被災者の思いに寄り添い続けてもらえればうれしい」と話した。
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災救隊本部隊が宿営地を構える、日本航空学園能登空港キャンパス管理担当理事長補佐兼事務長の中村博昭さんは「今回の能登半島地震では、東日本大震災や熊本地震と比べてボランティアの数が少ないと聞いている。こうしたなか、ひのきしん隊の皆さんが長期にわたり、まとまった人数で駆けつけ、能登の復興の大きな力になってくださっている。皆さんに積極的に活動してもらうことが能登の復興につながるので、ぜひ今後もご協力いただきたい。そのために、本校の校舎を存分に活用していただければ」と語った。
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なお、第21次隊は、5日から7日にかけて延べ81人が出動。10件の被災現場で救援活動に従事した。
8日から10日にかけて、第22次隊が2市での活動を継続。11日からは第23次隊が出動を予定している。
(10日記)
文=久保加津真
写真=嶋﨑 良
災救隊第21次隊の出動の様子をご覧になれます。