人に満足を与え、自らの満足とする – 心に効くおはなし
満足とは、その字が示すように、満ち足りることである。人間、求めることが満ち足りると、それ以上の進歩がない、ともいわれる。なるほど、そうには違いない。
問題は、自らの思いにこだわり、それを他者に求めすぎる場合にある。求めすぎるところ、他者への不足が出てくる。満足できなくなる。
こうした場合、親神様は、ともかく満足してやれ、とおっしゃる。まず、どんなことも満足していくことである。自らの満足をもって、人に満足の心を与えるのである。
料理を出される。おいしい、おいしいと言って、満足の言葉を発する。もてなした人は、その言葉にまた満足する。満足の道が広がっていく。それは、喜びの輪が広がることでもある。こうした姿は、おやさまのお心に適うことになる。だから、その輪はますます大きくなっていく。
さらには、人に満足を与え、しかも、それを自らの満足とすることである。人の喜びをわが喜びとする。これが親の理であろう。不足の心から生まれるのは争いである。ものごとを潰すことにもなる。
どんなときも満足という心をもって、事に当たることである。満足は人を生かす。そこに、親神様は勇まれる。陽気で豊かなご守護が、そこかしこに溢れてくる。それは争いと無縁な、戦争とはほど遠い対極にある世界である。