天理時報オンライン

天理教における「さんげ」とは? – 身近で聞いた素朴な問いに WAKUさんがお答えします


「最近、昔のことを思い出しては『あんなこと言わなければよかった、しなければよかった……』などと、後悔の念に苛まれています。天理教でも『さんげ』をすると聞きましたが、どのようにするのでしょうか?」と、ある中年の男性に尋ねられました。

いまにして思えば、ということでしょうが、おそらくその時々にも、あなたらしく精いっぱい頑張ってきたことと思います。そうするより仕方がなかった、ということもあるのではないでしょうか。

それでも過去を悔いる思いから、何かお詫びをしたいような気持ちになっているのですね。しかし、過ぎたことは、もちろんやり直せないし、いまさら当事者にお詫びをすることも、できない場合が多いでしょう。

古くから仏教では、罪を告白して許しを請うことを「懺悔」と言います。キリスト教でも、「ざんげ」と読みますが、同じ意味で使われます。

天理教では、これまでのことを、ただ悔いるだけでなく、反省して心を改め、これからの考え方、歩み方を定めることも含めて「さんげ」と呼んでいます。

過去の自らの心づかいや行いの過ちを自覚できるようになるまで、親神様が抱えるようにして気長にお連れ通りくださっていたことに、あらためて思いを致し、その深い親心に感謝の心を持つことが大切です。そのご恩に報いるためにも、今後の歩みを決意し、実行していくことが「さんげ」となるのです。

具体的には、昔なら許せなかったような人を許し、認めるように努力する。また、たすけあいのうえから、困っている人に手を差し伸べていく、といった積極的な行動があってこそ、「さんげ」として親神様が受け取ってくださり、私たちはたすけていただけるのだと思います。


西村和久(天理教一筋分教会長)