『教祖御誕生祝歌』道の子に歌い継がれて90年 – 特集 よろこびの大合唱
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〽︎空に五彩の 雲たなびきし 寛政十年 この月 この日――。教祖誕生祭終了後、恒例の「よろこびの大合唱」(婦人会・青年会・少年会主催)が本部中庭で開催された。計6曲を締めくくる『教祖御誕生祝歌』は、昭和11(1936)年に『奉祝歌』として発表されて以来、今年で90年を迎えた。ここでは、存命の教祖のご誕生日を寿ぐ代表曲として、長年親しまれてきた『教祖御誕生祝歌』の歴史を紹介する。
教祖誕生祭が始まったのは、現在の教祖殿が竣工した翌年の昭和9年4月18日。その2年後の11年4月18日、教祖誕生祭の祭典が終わりに近づいたころ、中庭で参拝していた約6千人の管内学生らによって、『教祖御誕生祝歌』はお披露目された。
女子学生の体験をもとに
『教祖御誕生祝歌』は、当時の本部教学部が中心となって制作を担当。管内学校の児童から教職員まで、全員で教祖のご誕生日をお祝いする歌を作ろうと歌詞を募集したところ、400を超える作品が集まった。
その中から選ばれたのが、天理女子学院1年生の木村光江さん(当時20歳・のち福原姓)の作品だった。
木村さんは歌詞を手がける数年前、教祖のご存在を確信する出来事を経験していた。
天理高等女学校の生徒だったころ、級友と本部神殿を掃除していたところ、初めておぢばを訪れた目の不自由な女性に遭遇。ほどなくして、その女性が教祖殿で「目が見える」と驚嘆の声を上げる姿を目の当たりにした。この鮮やかなご守護に、木村さんは「教祖はご存命でお働きくださっている」と確信したという。
この不思議な体験への感動をもとに書かれた歌詞はその後、東京音楽学校(現・東京藝術大学)出身の内田甚太郎さん(板橋分教会2代会長)によって曲が付けられ、『奉祝歌』として発表された。
戦禍や感染症など幾多の困難を経て
教祖誕生祭は戦時中も中止されることなく、『教祖御誕生祝歌』も歌われた。その様子について、本紙昭和19年4月23日号では次のように報じている。
「中庭に参列した管内学徒数千は天中吹奏楽の伴奏で御誕生奉祝歌を高らかに斉唱、一昨十七年四月のこの日の敵機本土来寇を思ひ起し緊張も一しほのうち祭典は午後二時とゞこほりなく終了した」
その伝統は令和2年、新型コロナウイルスの世界的流行によって中断を余儀なくされる。
当時、教会本部では感染拡大の防止対策として、教祖誕生祭への参拝を控えるよう教内へ通達。教祖誕生祭はつとめ人衆や本部在籍者らのみが参拝し、「よろこびの大合唱」をはじめとする慶祝行事はすべて中止された。
『教祖御誕生祝歌』の斉唱が再開されたのは令和4年。感染状況に鑑みて、従来の「よろこびの大合唱」は「よろこびのハーモニー」へと名称変更したうえで催され、2年ぶりに『教祖御誕生祝歌』のメロディーが本部中庭に響いた。
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今年、228回目のご誕生日を迎えられた教祖。「よろこびの大合唱」では、国内外から帰り集った大勢の帰参者が、管内学校の児童・生徒、音楽研究会などから成る合唱団と共に『教祖御誕生祝歌』を高らかに斉唱した。発表から90年を迎えた伝統ある曲は、これからも存命の教祖をお慕いする世界中の道の子によって、世代を超えて歌い継がれていく。














