五穀を育てる天の恵み 生命の深遠なルーツ – 逸話の季
2023・6/21号を見る
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昨夜から降り続いた雨が上がり、今朝は、どんよりした空の色も少し明るくなってきました。朝靄の立ち込める山里の空気はしっとりしています。
今年も去年と同じように、梅雨の季節を迎えました。しかし目の前の新緑は、昨年と同じ青葉ではありません。円環する季節の中で、人生の時計の針は決して後戻りすることなく、常に前へ進んでいきます。
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明治8(1875)年6月、かんろだいのぢば定めが行われました。
教祖は、前日に「明日は二十六日やから、屋敷の内を綺麗に掃除しておくように」と仰せられ、人々は特に入念に掃除をしました。
教祖は、まず自ら庭の中を歩まれ、足がぴたりと地面にひっついて前へも横へも動かなくなった地点に標を付けられます。そののち、主だった人々が次々に、目隠しをして歩いたところ、みな同じ所へ吸い寄せられるように立ち止まりました。こうして、ぢばの地点が初めて明示されました。陰暦5月26日、時刻は昼ごろであったと伝わっています。
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ぢばの場所は、この世界のはじまりから変わらず、そこにありました。ただ人間が、それを知らなかっただけです。しかし、これは自らの力で発見できるものではありません。なぜなら自分の生命の由来は、それを知る誰かに教えてもらう以外に、知るすべがないからです。私が生まれた日の姿を本当に知っているのは、私を産んでくれた母とその身近な人々だけなのです。
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私はいつ、どこで、どのようにして生まれ、どのように成長してきたのか。両親をはじめとして、多くの人々に教えられてきました。自分の子供たちに対しても、繰り返し話をしてきたつもりです。
しかし、私たちの生命には、本当はもっともっと古い深遠なルーツがあるのです。この世界のはじめから変わらない、本当の私の存在とその意味は、教祖によって、ぢばの地点とともに明らかにされました。だからこそ、教祖を真実の「をや」と慕うとき、人生に新たな目標ができるのです。
■文=岡田正彦