野迫川村の朝 – 表紙写真
平均標高が700メートルの奈良県野迫川村。夜中に降り続いた雪は夜明け前に消えた。光が差し込んだ瞬間、絶景となった。 by 藤浪秀明
平均標高が700メートルの奈良県野迫川村。夜中に降り続いた雪は夜明け前に消えた。光が差し込んだ瞬間、絶景となった。 by 藤浪秀明
僕の風景画は、すべて現地で描いています。 春夏秋冬の光と風を感じながら風景と一体となります。アウトドアが僕のアトリエなのです。 写生場所……京都府木津川市 西薗和泉(にしぞの・いずみ)1960年、奈良・・・
11歳で旧ソ連の国費留学生としてキーウ国立バレエ学校に入学し、卒業後はキーウ国立バレエ団へ。以来、この街で35年間、バレエの発展に力を注いできた寺田宜弘さん。現在はウクライナ国外から教え子や仲間のダン・・・
日の暮れた山の辺の道は、昼間とはまるで別の顔を見せる。写真は環濠集落として知られる天理市萱生町。特にこの日は、夜の帳が下りると家々の白壁がぼうっと浮かび上がり、周囲にある古墳群は黒々として人を寄せつけ・・・
痛いとか、つらいとか、悲しいとか、苦しいとか、信仰していたら感じない。そんなはずはないのです。やっぱり痛いときは痛い、つらいときはつらい、悲しいときは悲しいのです。しかし、お道を信仰した人たちは、「だ・・・
「日本史の授業で、天理教の教祖は女性だと習ったのですが、どんな方だったのですか?」と、知人の娘さんに質問されました。 ◇ 天理教教祖・中山みき様のことを、私たちは親しみを込めて「おやさま」とお呼びして・・・
発祥は弥生時代 「好きな食べ物は?」と聞かれて、「おにぎり」と答える私は、少し変わっているのでしょうか。 おにぎりといえば、いまやコンビニのものが主流かもしれませんが、私が好きなのは、手作りの、しかも・・・
わが子には世間に通用する立派な大人に育ってほしいと思うのは、親ならば誰もが持つ共通の願いでしょう。また、芸術やスポーツなどで持てる才能を発揮してほしいと願う親も多いもの。そのためか、いまどきの子供たち・・・
「市民大学の宗教の講座で、天理教にも人間創造の説話があると聞きました。それはどういうお話ですか?」と、高齢の男性に尋ねられました。 ◇ 『天理教教典』に、「この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は・・・
「オリジン(起源)を忘れなければ、どんな時代も真っすぐに歩いていける」 天才建築家ガウディの遺志を継ぐ日本人彫刻家から21世紀を生きる若者へのメッセージ。 外尾悦郎サグラダ・ファミリア聖堂彫刻家 定価・・・
教祖は親里ぢばで子供の帰りをいまもお待ちくださっています ※『稿本天理教教祖伝逸話篇』……信仰者一人ひとりに親心をかけ、導かれた教祖のお姿を彷彿させる二百篇の逸話が収められていて、教理の修得や心の治め・・・
崇神天皇陵から二上山を見たところです。東から日が昇るにつれて、西の田んぼと二上山が輝いて見えました。大和に生まれ育ったことを、うれしく思った瞬間でした。 写生場所……天理市柳本町 西薗和泉(にしぞの・・・・
若き日の異国での経験が 私の事務机のペン皿には、6本の万年筆が並んでいる。亡き父や敬愛する義兄の形見、学生時代にアルバイトをして買ったもの、拙作の出版お祝いに頂戴したものなど、どれも思い入れが深い。 ・・・
私も含めて、人間というものは欲深くて厚かましい。それが一番分かりやすく現れるのは、おつとめの拝礼の時間です。 このとき、親神様に、あれもこれもとたくさんお願いする人がいます。教会本部の大祭や月次祭には・・・
若いころ、新聞記者をしていた友人の取材現場に同席したことがあります。そのとき驚いたのは、友人の取材相手への接し方が、初対面とは思えないほど親しげだったことです。和やかな雰囲気のなか、相手の方の言葉に次・・・
日本の国花といえば桜。では、国果は?答えは柿。柿は日本を代表する果実なのだ。しかし、ピンとこない人も多いのでは? 写真は、山の辺の道沿いの柿畑。天理市萱生町が利根早生という品種の発祥の地であることから・・・
昭和33年の夏、小学1年生だった僕は、家の前の路地で三角ベースの野球をしていて、通りかかった八百屋さんのオート三輪にぶつかりました。ところが、その八百屋さん、倒れている僕のことに気づかず、そのまま僕の・・・
早朝の大和平野。山の端から日が昇ると、辺り一面が黄金色に染まる。時折、吹き渡る風に、たわわに実った稲穂が波のようにそよぐ。まさに“豊饒の海”だ。 実際、ここはかつて湖の底だったという。いまから1900・・・
「父がよく『子供のころ、天理へ連れていってもらったことがある。そのとき喘息の発作が出たけれど、拝んでもらったら治まった』と話しています。それは、どんなお祈りですか?」と、訪問先で尋ねられました。 ◇ ・・・
スペインのバルセロナにある世界遺産「サグラダ・ファミリア」。彫刻家の外尾悦郎さんは、この聖堂の建築に40年以上携わってきました。その中で、天才建築家アントニ・ガウディが残したメッセージを次々と読み解き・・・